香室結美(ジェンダー・セクシュアリティ班)ナミビア 海外出張期間:2017年8月18日〜9月16日

「祝福の子どもたち:ナミビア・ヘレロ人の<養子>と家族ネットワーク」
香室結美

(派遣先国:ナミビア/海外出張期間:2017年8月18日~9月16日)

調査地の村で、家の主の女性Eと彼女の「娘」Bと一緒に野菜の皮を剥きながら、ヘレロ語ラジオを聞いていたとき、ショッキングなニュースが流れてきた。ウォルビスベイの砂漠で女性が子どもを産み落とし砂に埋めていたところ、赤ん坊の泣き声に気づいた通りかかりの人が通報したという。警察が赤ちゃんを必死に砂から掘り起こし病院に連れて行き、女性は逃げたが捕まった。EとBは私に「聞いた!?信じられない!」と声をかけた。Bは1歳の男の子を育てており、「避妊の方法はいくらでもあるのに・・・子どもを埋めるなんて」とつぶやいた。その日、Eは村人の男性が庭に寄った際も「聞いた!?」とニュースの内容を話題にした。ナミビアでは、レイプされた時以外、堕胎は違法である。「日本では違法じゃないよ」というと、3人は一瞬、考え込んだ顔になった。私も一瞬、自分がとんでもなく子どもを大事にしない国に住んでいるような悪い気持ちがして、どういう顔をすればいいかわからなくなったが、Eは「ナミビアでも堕胎を認めるかどうか議論がされていて、認める流れなんじゃないかな」という。子どもを捨てる親も結構おり、社会問題になっているそうだ。ニュースの女性は、「彼氏が子どもを欲しくなかったから」捨てたという。ちなみにBは子どもの父親と来年結婚する計画を立てているが、父親がどこまで本気かについて周囲の親族はかなり疑っていた。

さて、ヘレロの人たちは堕胎に否定的なのだが、働かなくてはならない、育てられないと困った時どうするかというと<養子>に出す。今回の調査の主な目的は、このヘレロの<養子>がどういうものかを明らかにすることだった。ヘレロの年輩女性は幼い子どもと一緒に住んでいたり連れていたりすることが多く、その子どもたちが誰の子なのか、親は何をしているのかがかねてからの疑問だった。そして上記のBも、彼女を産んだ時母親が10代前半で育てられなかったためEに<養子>に出されたのだった。「」付きで「娘」と記したのはそのためである。

[写真1] E、<養子>のB、Bが産んだ息子I。


[写真2] Eが産み育てた息子P、Bの「兄」、Iの「叔父」になる。

なぜヘレロは<養子>に出すのかとEに聞くと、「家族の繋がりを強くするため」だという。何も困ったことがなくても、母親は産んだ子どもを自分の母親や母系出自(エアンダ)が同じ親族の女性に<養子>に出す。そうすることで家族間の行き来が増え、絆が強まるという。子どもたちは自分を産んだ母親と父親が誰か、長い間知らないこともある。Eが産んだ長女は3ヶ月ほどでEの母親の姉妹に<養子>に出され、次女も<養子>に出された。E自身も<養子>に出された。ヘレロ人男性Cと話していた時、彼は「ヘレロの子どもは祝福されるべき存在。堕胎はあまり考えられない」と言った。そしてC自身も、中学生の時に親戚の家に<養子>に出されたという。

ヘレロの<養子>は英語でいうと“adoption” だが、ヘレロ語では単に「子どもを育てる、世話をする」(okuvera omuatje)となる。子どもを受け取った人物はその子を自分が産んだ子と分け隔てなく育てるため、特別な単語がないのである。「親」になった人物は、家にやって来た子どもの衣食住を世話し、学校に行かせる。彼女たちは子どもの移動をヘレロの「文化」だといい、家族の繋がりを保つために重要だという。

ところが、インタビューをしてみると20〜40代の親にはこの<養子>を否定的に捉えている人が多いこともわかった。自分の子どもは自分で育てたいという考えが強くなっているのだ。その理由について、自分が養子として実の子と区別され不遇な生活を送ったり、進学する度に違う町の親戚の家にたらい回しにされたりと、嫌な思いをしたことを語る者もいた。「なぜ母は私を自分で育てず養子に出したのか」という根深い疑問を長年抱えている人もおり、「家族の繋がりを強くする」という自明のストーリーが疑われ、実母・父の無責任が問われ始めていた。子どもの数も避妊によってコントロールされており、60〜80代の女性たちのように5〜10人近く子どもを産むわけではない。

人々の意識の変化により、ヘレロの<養子>は今後少なくなっていくと予想される。しかし、いざ産んだけど育てられない、あるいは産みたいけど育てられないかもしれないという時、このようなシステムを柔軟性のある子育てセーフティネットと考えれば、親にとって非常にありがたいのではないか。少なくとも、働いている調査者にはそう思えた。また、社会全体が産まれてくる子どもを祝福し受け入れてくれることは、親にとって非常に安心できる状態だといえよう。今後ヘレロの<養子>が親族間の関係性の強化として肯定的に捉えられ続けるのか、生物学的親の無責任として否定的に捉えられていくのかについては引き続き調査が必要だが、ヘレロの人々が子どもをどう捉えているのかがより理解できたいま、家族の関係性がより特別なものに見えてきた。

帰国後、BからSNSでメールが来た。「お姉ちゃんお願い、パソコンが欲しい。3400ナミビアドルするんだけど買ってくれない?ほんとお願い」。Eは私を家に迎え入れてくれた私の「母」であり、Bは彼女の「娘」なので、私はBの「姉」である。私は今までこのようなお願いをリッチな日本人に見える私に対するたかりだと考えていたところがあり、適当に流すことが多かった。しかし、彼女は私のことを実の姉と思って頼っていたのだ。私がナミビアにいない間も彼女は絶やさずメールをくれ、食べ物や服をシェアしないと「なぜ!?」と怒り呆れた。私は彼女のことを「妹」と呼び大事にしていたつもりだったが、どこかで実の妹とは思っていなかったのだろう。ケチで薄情な姉だといわれてもしょうがない気がしてくる。そうなると、私はBを裏切るわけにはいかず、パソコンを買わねばならないだろう。

[写真3] 首都ウィンドフック、ロングドレスのOuma(おばあちゃん)を囲む<養子>の子どもたち。
EもOumaに育てられた。左から3人目の女性はOumaが産んだ娘。中学校に通うため、Bは首都のOuma宅で暮らすようになった。

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