【2011年度派遣報告】加藤太「氾濫原をめぐる農民と牧民の対立の回避と協調関係の発展:タンザニア・キロンベロ谷の事例」

(派遣先国:タンザニア、派遣期間:2012年2月~3月)
「氾濫原をめぐる農民と牧民の対立の回避と協調関係の発展:タンザニア・キロンベロ谷の事例」
加藤 太(信州大学農学部食料生産科学科・研究員)
キーワード:牧民の移住, 湿地, 老人の仲裁

研究の目的

牧民スクマ:彼らは家畜、特にウシに大きな価値を置く生活を営んでいる

近年、サブサハラ・アフリカでは湿地の開発が急速に進められており、湿潤な土壌環境に適したイネの栽培が急速に拡大しつつある。その一方で湿地は牧民によって古くから放牧地として利用されてきた。さらに湿地は野生生物の棲息地でもあり、スポーツハンティングを含む観光資源として環境保全の対象とされてきている。このため湿地開発がすすむなか、農業、牧畜、狩猟、自然保護という多元的な思惑が重なり、各地で民族集団間、あるいは政府と住民の間の問題が顕在化してきている。タンザニア中南部に位置する氾濫原、キロンベロ谷では放牧地を求めて移住してきた牧民と農民の間で土地をめぐる争いが発生し、一時は対立しあう関係となった。また、キロンベロ谷では環境保護政策もすすめられており、土地利用については多元的な思惑の重なる地域となっている。今回の派遣では、キロンベロ谷における農民と牧民に注目し、両者の生業と社会・経済的な背景を関連付けながら、両民族集団の関係性の変遷を明らかにした。また、湿地の多元的な利用を分析することで、異なる生業や価値観をもつ民族集団の関係が対立から協調へと変化したことについて考察する。

調査から得られた知見

キロンベロ谷は、面積約11,600 km2の広大な内陸氾濫原である。水に恵まれたこの地域では古くから稲作がおこなわれてきたが、市場経済化の進展にともなって水田面積が急激に増加し、現在では国内コメ生産量の約1割を生産する大稲作地帯となっている。同地域ではもともと居住していた農民ポゴロが稲作を中心とした生業を営んでいたが、1980年代以降スクマと呼ばれる牧民が放牧地と水田を求めて移住してきており、現在はコメの大産地であるとともに家畜、特にウシの生産地になった。

キロンベロ谷では、これまで2つの民族集団がそれぞれ異なった土地を利用してきたため資源の競合は発生してこなかった。しかし、近年ポゴロの稲作が拡大するなかで、谷の中心部である氾濫原において土地争いが顕在化してきている。すなわちキロンベロ谷における湿地は、コメとウシという現代アフリカにおいて大きな経済価値を持つものの生産の場として、人々が大きな価値を見出すようになっているのである。さらに2000年代に入りタンザニア政府が環境保護と観光産業の振興を目的とした政策を打ち出したことにより、同地域において土地争いが起こっていた湿地は野生動物の保護区としても価値を持つようになった。

このような湿地利用の競合により、同地域における両者の関係は悪化の一途をたどり、一時は集団乱闘事件も発生した。しかし、政府が湿地において野生動物保護のためにポゴロの稲作もスクマの放牧地も禁止する政策を決定した時期を境に、両者の関係は一転して協調関係へと転じた。この背景には、自然保護政策という両者に共通の問題が浮上した事とともに、両者の間に牛耕や牛肉を媒介とした関係が構築された点がある。また、中立な意見を言うポゴロとスクマの「老人」が対立する両者の仲裁に当たったことも和解をすすめる結果になった。これは両者が双方の社会に存在する「老人を敬い尊ぶ」という文化に共通点を見出し、中立的な意見を言う老人たちを和解の落とし所としたためである。

さらに対立から一転して協力関係が発展した背景には、一連の動き通して築き上げられてきた個人と個人の関係が構築されている点がある。現在も土地争いや耕作地へのウシの侵入といった事件は起きているものの、これは民族集団間の問題ではなく、個人対個人の争いと認識されるようになった。

本調査の結果、キロンベロ谷では民族間関係が併存から共存の関係に発展する各段階に、中立的な意見を言う老人やポゴロの水田を牛耕したスクマなど、集団間をつなぐインターフェイスの位置にキーマンと呼べる個人がいたことが明らかになった。また、各段階において老人を敬う習慣や家畜の恩恵など、潜在化していた価値観、技術、資源などが必要に応じて顕在化してきたことが対立を回避することにつながった。

ポゴロと談笑しながら酒を飲むスクマ

スクマの指導により水田を耕作するポゴロ

今後の展開

キロンベロ谷では、上述したようにポゴロとスクマの対立が発生し、一時は乱闘事件にまで発展した。しかし、政府の自然保護政策への影響や老人の仲裁などがきっかけとなり、対立関係は一転して協調関係へと変化した。今後は、こうした要因を丹念に調査することによって、民族集団間の対立が解消する過程をより明確にする。また、構築された協調関係はウシを媒介した相互扶助や新たな農法の創出など多様に展開する可能性があり、今後の動きを分析することで、東アフリカの民族集団が持つ潜在力を明らかにする予定である。

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