【2014年度派遣報告】八木達祐「スラムツアーの現在ー観光と住民のコンフリクトを中心にー」

(派遣国:ケニア, 南アフリカ/派遣期間:2014年8月〜10月)
「スラムツアーの現在ー観光と住民のコンフリクトを中心にー」
八木 達祐(立命館大学大学院 先端総合学術研究科共生領域 博士前期課程)
キーワード:スラムツアー, スラム文化, 貧困, コンフリクト, 観光人類学

研究の背景と目的

キベラを走るリフト・バレー鉄道。東にはケニア地方都市モンバサへ、西にはウガンダの首都カンパラへと続いている。2007年の大統領選挙後には、ライラ・オディンガ候補を支持していた数百人のキベラ住民によって「線路引き剥がし」事件が起きた(慶田:2012)。

1990年代初頭以降、第三諸国では「貧困街」を巡回するスラムツアーが、観光を受け入れる地域の貧困削減や経済的自立を目指すプロ・プアーツーリズムの展開(江口 2010:21)や経済発展を目指す第三諸国にとって大資本や先端技術、専門知識がなくても導入可能な産業であること(森本 2012:10)を理由に拡大してきた。しかしながら、物見遊山的な観光客がスラムの人々の心情を害することや「貧困」というプライベートなものを見世物にして「商品化」することが道徳的な問題とされ、倫理的な観点からメディアによって批判もなされてきた(Steinbrink et al. 2012 : 1)。観光社会学者のジョン・アーリーは、「まなざし」という概念を用いて、自分の文化とは異なるものを空想で追い求めるロマン主義的な観光客によって、観光地域の人々は一方的に見られているという観光客と地域住民との不均衡な関係性を指摘し、観光(客)の持つ権力性を提示した(アーリー 1995)。

今日のスラムツアー研究においても、観光客の経験に着目する研究や観光開発がいかに行われるべきかに関する分析に議論が偏重しており、観光地域に住む人びとの実践に焦点を当てた研究は少なく、観光客の「まなざし」を受けるスラム住民が、観光や観光客に対してどのように対処しているのかについては十分に明らかにされてこなかった。

そこで本研究では、スラム住民による対処の諸相を明らかにし、さらにアフリカのスラムツアーが実施されるスラム地域でのコンフリクトを把握することを目的とした。今回の渡航では、アフリカにおけるスラムツアーの概要の把握と調査地の選定を目的とし、ケニアのナイロビ(キベラ)、南アフリカのジョハネスバーグ(ソウェト)・ケープタウン(ランガ)の3地域においてスラムツアーへの参与観察を行った。調査者が参加したスラムツアーは大抵、事前にインターネットや電話でツアーの事業者(観光学ではブローカーと呼ぶ)と連絡と取り、当日は観光客が滞在する都市の中心部から自動車やバスを使ってスラム地域に向かうものであった。その後、案内人と共にスラム内を歩いて周り、民家や居酒屋、土産物屋やNGO団体、伝統的な治療者等を訪問した。民家でスラム住人の話を聞いたり、居酒屋でスラムの地酒を飲んだりして、実際に「スラム文化」を体験できるツアー内容となっている。

得られた知見

ソウェトのヘクター・ピーターソン博物館前の広場にて。ソウェト育ちの案内人によってアパルトヘイトやソウェト蜂起の歴史が語られている。博物館の名称には、1976年ソウェト蜂起で最初の被害者になったとされる当時12歳の少年の名が用いられている。

具体的に得られた知見は以下の通りである。
1)3地域におけるスラムツアーの現況
ここでは今回調査を行ったナイロビとジョハネスバーグ、ケープタウンのスラムツアーが置かれた経緯と各スラムツアーの特徴について簡単に概観しておきたい。ケニア最初のスラムツアーは2007年に首都ナイロビで開催されたWorld Social Forum (WSF)という国際会議をきっかけに、キベラにおける政治活動の一環として、NGOの指揮のもと実施された(Steinbrink 2012:7)。アフリカ最大のスラムであるキベラはナイロビの近郊に位置し、トタン屋根の家々がひしめき合う広大なエリアである。初のスラムツアーから4年後の2011年には、およそ5000人の観光客がスラムツアーに参加したと推計されている(Steinbrink 2012:6)。

南アフリカにおけるスラムツアーは1991年に始まり、今日のスラムツアーの先駆けとなったとされている。アパルトヘイト時代にはすでに、政策に批判的なNGOや国際連合の政治グループによって、非白人地域を訪れる観光が始まっており(Steinbrink 2012:4)、アパルトヘイト政策が撤廃された後も、世界各地だけでなく国内からも観光客を集めている。南アフリカにおけるスラムツアーは「タウンシップツアー」と呼ばれる。タウンシップは、アパルトヘイト時代に強制的に作られた居住区のことであり、観光地域となるタウンシップのほとんどは黒人居住区である。なかでも、ジョハネスバーグに位置する南アフリカ最大のタウンシップであるソウェトは、アパルトヘイト時代に黒人大衆による活発な抵抗運動が起こったことで世界的に大きな注目を集めた地域である(峯 2010:53)。そのような歴史的背景もありソウェトでは1976年ソウェト蜂起の記憶を展示したヘクター・ピーターソン博物館や、ネルソン・マンデラが拘束されるまでに暮らしていたマンデラハウスが代表的な観光地となっており、これらの場所はタウンシップツアーにおいてもしばしば訪れられている。とりわけ黒人タウンシップのなかを案内人の語りを聞きながら巡回する形式やシェビーンと呼ばれる「違法」居酒屋に入り、大きな樽に入った地酒をバケツですくい皆で回し飲みをする体験は、南アフリカにおけるタウンシップツアーでは定番の内容である。

ケープタウンは40〜50のツアー会社によってタウンシップツアーが実施されており、年間およそ80万人の観光客がいることが推測されている(Steinbrink 2012:4)。他の地域と比べて多数のツアー会社が参入しており、ツアー内容や会社の連絡先を記したパンフレットは空港や駅で簡単に手に入れることができる。喜望峰やテーブルマウンテン、ワイナリーという観光の名所が多く存在しているなか、タウンシップツアーが観光地ケープタウンの中心的な観光産業として台頭してきたということは興味深い現象である。

2)スラムツアーの規格化とインフォーマル化
ジョハネスバーグおよびケープタウンでは、ツアー会社に関わらず、訪れる場所やコースが決められており、ある程度の規格化がみられた。シャンティタウンと呼ばれるトタン屋根が連なるエリアを回る異なるツアーに参加したが、いずれのツアーでもシャンティタウンの入り口の居酒屋と土産物屋に行き、スラムの奥深くには入らずに引き返した。このことからスラムツアーに直接的にコミットするエリアと住民は限定されており、観光客に見せることのできるものもあらかじめ決まっていることが示唆された。

他方で、ナイロビのスラムツアーには、インフォーマルな業態が広く存在する可能性も示唆された。たとえば、サファリツアーを目玉に運営しているツアー会社を通じて申し込んだスラムツアーでは、ネットカフェ店員を本業とし副業として時折ガイド業に従事するスラムの26歳の若者(男性)に案内された。またウェブサイトで見つけた別のツアー会社は二人の従業員しかおらず、発表者の帰国後再び検索するとツアー会社のサイト自体が無くなっていた。これらのツアーは、上述した南アフリカのツアーとは異なり、会社が独自に回るコースを決めるか、もしくは観光客の希望に応じてツアーがアレンジされている。スラムツアーの歴史の深い規格化された南アフリカに対して、まだ歴史が浅く形式化されていないゆえに観光を受け入れる住民どうしで意見の対立が生じ、より直接的なコンフリクトが起こる可能性もある。

今後の展開

ケープタウンのランガ・タウンシップにて。
いずれのタウンシップツアーにおいても訪れた家屋と隣接する土産物屋。

1)スラムの形成史・スラムの社会構成
今後の展開としてはまず、スラムツアーが行われる地域がどのような社会構成をもつスラムであり、どのような歴史的経緯で形作られてきたのかをフィールドワークと文献調査から明らかにする。たとえばナイロビのキベラは、キクユ、ルオ、ルイヤ、カレンジンを中心とした多民族から構成される地域である。キベラは19世紀後半、イギリスと従属関係にあったエジプト人によって連行された、南スーダン人の奴隷兵士のための居住区として誕生し、イギリスの植民地からケニアが独立した1963年の直後の混乱期には、キクユ人やルオ人の「地主」がバラッグを建て、そこを貧しい出稼ぎ民に賃貸していくことで規模を拡大してきた(松田 1996 : 96)。また、ロンズデールの言葉をひきながらキベラの土着性を論じた慶田によれば、多くのケニア人は自身が移民であることを意識し「先住民」が誰なのかについては曖昧にしており、国内外から集まった帰属が曖昧な人々によってキベラは構成されているという。またイギリス政府に従事した南スーダン人たちの子孫であるヌビもまた、市民権を得るための「先住民」としての主張を続けている帰属が曖昧な人々である(慶田 2012 : 83)。こうしたスラム地域の複雑な歴史と民族構成において、スラムツアーで観光客が訪れる地域がどのようなエリアであるのかを明らかにし、そこからスラムツアーに対する住民間の異なる利害関心を検討したい。

2)住民の複雑な立場性とコンフリクトの所在
貧困削減を目標とするプロ・プアーツーリズムが行われている地域では、利益が誰にどのように分配されているか等の問題や観光産業を受け入れることに対する地域住民の意識の違いをめぐる住民の間のコンフリクトが指摘されている。van der Duimが、「同一の個人が地元民やブローカーであることもあるだろうし、観光客になることすらもあるであろうが、そういう立場で、さまざま異なった、時には相矛盾することもある複数の役割を演ずるかもしれない」(van der Duim et al. 2009:134)と述べるように、観光案内人として働く住民もいれば、住宅を公開することで利益を得ている住民もいる一方で、家のすぐ側まで観光客は来るが何も利益を得ていない住民など、立場はさまざまであろう。そこで、特定の地域住民が観光に果たしている役割と立場性を明らかにするために、住民をA)観光の推進者や指導的立場にある住民、B)直接関与する住民、C)関与しない住民の3つに区分して、それぞれの住民どうしの関係性について調査を行う。

また、コンフリクトに関する別の視点として、観光のオーセンティシティにも着目したい。オーセンティシティをめぐる議論の火付け役となったブーアスティンは、観光客はメディア等であらかじめ持っているイメージを確認することで満足する「擬似イベント」論を展開した。これに対してマッキャーネルは、観光客は「舞台裏」を見ることを求めていると反論した。しかし舞台裏という表舞台(演出していないという演出)が存在する可能性は否定できず、それは結局のところは確かめようがない(遠藤 2005 : 23)。既存の観光人類学の理論を参照しつつ、見せることが可能な領域とそうではないプライベートな領域とのあいだで、住民たちがいかに観光客を満足させようとしているのかを明らかにしたい。

3)スラムツアーの歴史的な展開
スラムツアーに関する最初のアカデミックな会議は、2010年12月にイギリスのブリストルで開催された「スラムの行き先」と題された会合であるとされる(Steinbrink 2012:8)。しかしスラムツアーが誕生する以前から、外部者がスラムを訪問するという行為は存在していた。たとえば、1840年代頃からロンドンの「West Side Lingo」では、スラミングと呼ばれるスラム訪問が行われていた(Steinbrink 2012:2)。Kovenの言葉を借りながらSteinbrinkは「初期のスラミングは、福祉と慈善に対する関心という仮面によって包み隠されていた。しかし、スラミングが余暇の活動として発達してきた19世紀の後半でそれは変わった」と述べている(Steinbrink 2012:2)。このような初期のスラムの訪問から、1960年代のマス・ツーリズムの誕生を経て、プロ・プアーツーリズムへと至る軌跡において、スラムツアーの意味づけがいかに変容してきたのかを明らかにすることで、現代のスラムツアーが担う特有の価値を析出したい。

【参考文献】
アーリー、ジョン
1995 『観光のまなざし−−現代社会におけるレジャーと旅行』加太宏邦訳、法政大学出版局。

江口 信清
2010 「第一章 社会的弱者と観光に関する研究」『貧困の超克とツーリズム』江口 信清・藤巻 正己(編)、明石書店。

慶田 勝彦
2012 「キベラ・レッスン−−ケニアにおける土着性とヌビのアイデンティティ」『政治的アイデンティティの人類学 : 21世紀の権力変容と民主化にむけて』太田 好信(編)、昭和堂。

松田 素二
1996 『都市を飼い慣らす−−アフリカの都市人類学』河出書房新社。

峯 陽一
2010 「反アパルトヘイト運動の展開—ANCに流れ込んだ3つの潮流」『南アフリカを知るための60章』峯 陽一(編)、明石書店。

森本 泉
2012 『ネパールにおけるツーリズム空間の創出−−カトマンドゥから描く地域像』古今書院。

Steinbrink, M, F. Frenzel and K.Koens
2012 “Development and globalization of a new trend in tourism” Frenzel, F, K.Koens and M.Steinbrink eds.,Slum Tourism poverty,power and ethics, New York: Routledge,1-18.

須藤 廣・遠藤 英樹
2005 『観光社会学−−ツーリズム研究の冒険的試み』明石書店。

須永 和博
2012 『エコツーリズムの民族誌−−北タイ山地民カレンの生活世界』春風社。

van der Duim, R, K.Peters and J.Akama
2009「第7章 アフリカ地域社会における文化観光:ケニアの文化マニャッタ(Manyattas)とタンザニアの文化観光プロジェクトとの比較」『文化観光論−−理論と事例研究−−上巻』Smith, M.K and M.Robinson、阿曽村 邦昭・阿曽村 智子訳、古今書院。

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