落合雄彦先生 シエラレオネから 滞在期間:2016年6月9日‐2016年6月24日

今日のシエラレオネは、イギリスの奴隷貿易廃止論者が在英の黒人貧民のために建設した入植地を起源とする。その後、19世紀初頭に奴隷貿易禁止の法律がイギリス議会で成立し、やがて同国海軍による奴隷船拿捕がアフリカ西海岸の沖合で広範に展開されるようになると、シエラレオネは拿捕された奴隷船からのいわゆる奪還奴隷を上陸させる拠点となり、多くの解放奴隷が同地に流入するようになった。

そして、そうした解放奴隷のなかに鬱病や異食症といった精神疾患を患っている者が少なからずみられたこともあって、シエラレオネ植民地政府は1854年、同植民地の中心地フリータウンの東部郊外にあるキッシーの丘に精神病者を収容するための専用施設(アサイラム)を開設した。これが、英領西アフリカ最古の精神病者収容施設となるキッシー・アサイラムである。

この写真は、キッシー・アサイラムを史的起源とし、今日のシエラレオネで唯一の精神科病院であるシエラレオネ神経精神科病院を背にしながら、大西洋に流れ込むシエラレオネ川河口方面を撮影したものである。19世紀にキッシー・アサイラムに収容された精神病者の人びともまた、このキッシーの丘の上から、自分たちがやってきた海を眺めたのだろうか。遠く離れた故郷の地に郷愁の念を抱いたのか。ある史料によれば、1885年から1890年までの6年間にキッシー・アサイラムに収容された精神病者数は計105名であるのに対して、寛解などによって退所を許された者の数はわずか20名にすぎず、逆に感染症などのために死亡した者の数は50名にのぼった。このように19世紀当時のキッシー・アサイラムでは、死亡者数が退所者数をほぼ常に上回っていたのであり、死亡者があまりに多かったために、アサイラム管理者側はその遺体埋葬スペースを確保することに大変苦労したといわれている。キッシー・アサイラムは、そこに収容された多くの精神病者にとって、社会復帰を果たすための人生の通過地点ではなく、その終焉を迎える場にほかならなかったのである。

201606ochiai

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