【2011年度派遣報告】岡野英之「いかに武力紛争は波及するか―シエラレオネ・リベリア紛争にみる武装勢力の同盟網―」

(派遣先国:シエラレオネ/派遣期間:2011年9月~10月)
「いかに武力紛争は波及するか ―シエラレオネ・リベリア紛争にみる武装勢力の同盟網―」
岡野 英之(大阪大学人間科学研究科博士後期課程)
キーワード:武力紛争, 越境, カマジョー

研究の目的

助成元である研究プロジェクトは「潜在力を活用した紛争解決」を掲げている。一方、本研究ではあえて紛争がエスカレートする過程に注目した。なぜなら、紛争解決を導く「潜在力」(アフリカ人がみずから創造・蓄積し、運用してきた知識や制度)は、間違った方向に働けば、紛争を助長するからである。シエラレオネ紛争(1991-2002年)の一勢力であるカマジョー/CDF(Kamajor/CDF)はそれを物語っている。

本研究の目的はカマジョー/CDFの変容を追うことにある。シエラレオネ紛争は11年と長期に渡っており、カマジョー/CDFの組織形態も紛争の経過と共に変化している。カマジョーとは、反政府組織RUFの侵攻を受けて各地のコミュニティの指導層によって形成された自警組織であり、その中でもメンデ(Mende)の人々によって作られたものを指す。こうした自警組織は各地で作られた。つまり、カマジョーとは、メンデの自警組織を指す普通名詞なのである。ところが、当初、各コミュニティ単位で活動していたカマジョーは政府により武装・組織化され政府系準軍事組織へと形を変える。いわば、ひとつの武装勢力へとまとめあげられたのである。その後、政府はカマジョーの組織をさらに拡大・発展させ、その他の各民族の自警組織を組み込み、それを統合した市民防衛軍(Civil Defense Force)を形成した。こうした変容のプロセスを追うのが本研究の目的である。

今回、派遣者はシエラレオネの首都、フリータウンにおいてカマジョー/CDFについて調査した。このプロセスは単に人々が紛争に巻き込まれただけではない。人々は生存のために自らの知識や制度を活用した。それが紛争を助長したといえなくもない。

派遣者は、これまでカマジョー/CDFについての研究を、リベリア・シエラレオネ国境地域において行ってきた。リベリア、シエラレオネはほぼ同時期(1990年代全般)に紛争を経験しており、両国間では戦闘員が行き来したり、武装勢力間の同盟関係が形成されたりしている。これまで派遣者は両国に見られる紛争のトランスナショナルな側面に注目してきた。その結果、これまで、一見、シエラレオネに限定された動きであるカマジョー/CDFも、リベリアの武装勢力から戦闘スキルの高い人員を獲得したり、リベリアを介して物資の調達をしていることが明らかになった。

それを踏まえて、今回、派遣者は、フリータウンを中心に調査を行った。現地調査では、(1)カマジョー以外の自警組織はCDFとどのように関わったのか、(2)カマジョーは政府系準軍事組織CDFへといかに変容していったのか、の二点を追究することが目的である。フリータウンでは、それぞれの目的を遂行するため以下の作業を行った。第一に、元戦闘員が多く参加している商業用バイクタクシーの運転手(commercial rider)にコンタクトを取り、聞き取り調査を行った。第二に、元CDFの幹部に対しての聞き取り調査を行った。

調査から得られた知見

本調査から得られた知見として、CDFは、事実上は各民族の自警組織を十分に統合できていなかったこと、そして、カマジョーからCDFへの変容は、シエラレオネ政府へとカマジョーが組み込まれる中で行われた組織化に他ならないことが挙げられる。

第一に、カマジョー以外の自警組織は国家とあまり近い存在とはいえなかった。CDFの中でも、首都にいるカマジョーは政府からホテルの廃墟が与えられ、基地(兼、居住地)として使用しており、そこに家族同伴で生活をしていた。また、武器の供給も潤沢になされた。

それに対してテムネ(民族)の自警組織ドンソの証言では、首都へと動員された場合、国内避難民キャンプに滞在しており、武器の供給も十分ではなかったという。このことから、CDFは各民族の自警団を統合した組織というも、それは名目上であり、全ての自警組織が政府の傘下として同じレベルで組織化されていたわけではないことがわかる。CDFは、名目上、各民族の統合体であるが、事実上はほとんどカマジョーを組織化としたものと考えることができる。

第二に、カマジョーからCDFの変容は事実上、カマジョーを国家組織として取り組むためのものであった。このことは幹部へのインタビューによっても明らかになった。CDFはカマジョーの加入儀礼を行ったイニシエーターを登録制度として、数十人のイニシエーターを各地に配置した。また、各地に事務所を設けそこを軍事物資の供給の拠点とした。しかし、そのほとんどはメンデ居住地域に限られている。それ以外の民族を束ねたのは一人の人物(M.S. Dumbuya)であった。CDFはカマジョーを組織化する一方、北部の民族は彼の人脈によって作られたという。このようにCDFは国家の組織としての体裁を整えていく。その結果、紛争がなければ国政に参入することがないような人物も、紛争中、そして、紛争後にシエラレオネの国政に関与していくことになった。この二点が今回の調査で得た知見の要約である。

なお、この調査で得られたこととして以下の二点を補足する。第一に、現在、バイクタクシーは元戦闘員の商売とは見なされなくなっており、戦闘員ではない若者が多く参入している。かつてライダーをしていた元戦闘員は、ライダーを辞め、さらに利益の上がるビジネスへと移行している(それは元戦闘員に限ったことではない)。彼らはバイクタクシーを「卒業」し、次世代がライダーとなっているため、元戦闘員の割合は減っている(らしい)(あくまでも聞き取り調査からの内容である)。第二に、CDFの戦闘員の多くは農村において伝統的権威層に動員されているため、紛争後は農村に帰っている。そのため、都市部にいる元戦闘員の多くは反政府組織RUFにいた者である。

 

首都フリータウン近郊の町、ウォータールーの商業バイクタクシー運転手協会。バイクタクシーの運転手はこの協会に加盟し、毎日1000レオン(約25円)の会費を払う。協会は、価格の設定や、事故や警察とも揉め事などの対処などを任務としている。バイクは通常、2~3人で交代で運転し、休みの者の中には協会周辺でおしゃべりを楽しんでいる者もいる。

カマジョー/CDFの幹部たち。筆者が滞在したホテルまで聞き取り調査にご足労いただいた。左はかつて無線係だった人物。現在は国会議員。村を守った君なら選挙に勝てるといわれ立候補したという。右は、元国家作戦本部部長。現在は材木商を営んでいる。なお、彼らとのコンタクトは、あるCDF司令官の協力のもと可能となった。聞き取り調査を終えた後、彼らの間でシエラレオネの現在の政治についてのディスカッションが始まった。

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