【2014年度派遣報告】片山夏紀「ルワンダ・ガチャチャ裁判後の被害者と加害者による日常の再編に関する研究」

(派遣国:ルワンダ/派遣期間:2014年7月~2015年3月)
「ルワンダ・ガチャチャ裁判後の被害者と加害者による日常の再編に関する研究」
片山夏紀(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻「人間の安全保障」プログラム博士課程)
キーワード:ルワンダ・ジェノサイド、ポスト・ガチャチャ, 賠償, 同事件に関与していて近隣に住む被害者と加害者

研究の背景と目的

1994年のルワンダ・ジェノサイド後、2002年から2012年まで全国で村レベルの裁判「ガチャチャ(Gacaca)」が実施され、ジェノサイド時の犯罪に加担した約82万人の加害者が処罰された。殺人や暴行に関与した者には終身刑または収監と公益労働を含む懲役刑、物的損害を与えた者には賠償が課せられた。聞き取っている限りでは、1人の加害者がジェノサイド時に複数人の殺害と複数の家で物的損害に加担し、懲役刑と賠償双方の罰を受ける者も少なくない。現在は、懲役刑を終えた加害者が故郷に戻り、同じ事件に関与した被害者(遺族)と加害者が近隣で暮らす現状がある。因みに、派遣者が滞在しているセクターでは、人口約30,000人のうち被害者数は約300人、加害者数は行政が調べていないそうだが、セクター人口の大半がジェノサイドに直接関与していない人々であることも付け加えておく。

ルワンダ国立大学・紛争管理センター(National University of Rwanda, Center for Conflict Management: CCM)のガチャチャに関する報告書では、ガチャチャに一定の評価を与えつつも、その一方で、ガチャチャで物的損害を与えた加害者に賠償の支払いが定められたにも関わらず、実際は加害者が被害者(遺族)に賠償金を支払えない状況が多々あり、賠償金未払いの問題が、被害者と加害者間の関係に再び不満や緊張をもたらしかねないと指摘する(CCM 2012: 139)。

被害者と加害者が混在する村で、賠償未払いの問題が、果たしてどのような不満や緊張をもたらたしうるのだろうか。本研究の目的は、トゥチとフトゥという既存の民族の境界線に加えて、ガチャチャで被害者と加害者という境界線が明確に引かれたことが、農村に暮らす人々の日常をいかに再編しているのかを、とりわけガチャチャの賠償に着目しつつ、参与観察と聞き取りから分析することである。

得られた知見

派遣者は、西部州ンゴロレロ郡に存在する1つのセル(人口約8,000人)に滞在し、そのセルと、徒歩40~50分圏内のもう1つのセル(人口約6,000人)に住むガチャチャ裁判の被害者8 名、加害者8名、判事3名、行政関係者5名を対象に、1回につき約60~90分、1人あたり少ない場合で1回、多い場合で6回の聞き取りを実施した。セルの名前は、個人情報の保護の観点から伏せておく。聞き取った内容は、ンゴロレロ郡のジェノサイド時の状況、当事者たちの被害や加害、ガチャチャ裁判の判決、近隣に住む被害者/加害者とのジェノサイド以前から現在までの関係などが中心である。聞き取りの他に、ジェノサイドの被害者と加害者が共同で作業する協同組合や、ジェノサイドの寡婦の協同組合に通って活動を見学したり、首都キガリの警察庁にてガチャチャの裁判記録を閲覧したりした。

先行研究では、ルワンダ政府や研究者から、かねがね賠償未払いの問題が指摘されてきた。しかし実際にガチャチャで賠償がどのように決定され、加害者は賠償金をいかに工面して、どのような状況で被害者に賠償金を支払ったのかという具体的な事柄について聞き取りから少しずつ明らかになってきたことは、今回の派遣で得られた知見である。

まず、ガチャチャの賠償額は、ガチャチャの判事が被害者の物的損害(家財・家畜・食糧の盗難、家の損害など)の総額を見積もり、その総額を加害者数で割るのが一般的なようである。加害者が被害者1人あたりに支払う賠償額は、聞き取った中で最も安くて520FRW(約98円)、最も高くて11,885FRW(約2,242円)であった。なお、加害者1人あたり複数の家で物的損害に関与していることも珍しくなく、その場合は窃盗に関与した被害者の家すべてに賠償金を支払う必要がある。しかし、加害者が貧しいなどの理由で賠償金を工面できない場合、加害者は被害者に赦しを乞い、賠償額を帳消しあるいは減額してもらったり、現金を支払う代わりに畑を耕すなど労働力を提供したりすることもある。

賠償額が決定された後に、加害者はどのように賠償金を工面するのか。加害者やその家族は、土地や家畜の売却、農産物の販売、他人の畑の農耕などから現金を得ることが多い。また、賠償金を実際に用意するのは、加害者本人だけではない。物的損害だけでなく殺害に関与した加害者は、懲役のため10年ほど家を留守する者も多く、加害者の家族(主に妻)が賠償金を工面したという話もあった。

次に、賠償金を工面した加害者は、どのように被害者に賠償金を支払うのか。聞き取った限りでは、加害者の金銭的あるいは懲役の状況によって支払い方法も支払い時期も異なっているため、加害者が誰にいくら賠償金を支払ったのかを、行政が完全に把握することは難しいといえるだろう。1つは、ガチャチャで支払う方法である。加害者がすぐに賠償を用意できる場合は、ガチャチャにて、被害者あるいは判事に賠償金を支払う(加害者が判事に支払った場合は、後日判事から被害者に賠償金が渡るようである)。もう1つは、被害者に直接支払う方法である。加害者がすぐに賠償金を用意できず、2012年のガチャチャ閉廷後に賠償金を工面した場合は、加害者は被害者宅に直接訪れて賠償金を支払う。この場合、ガチャチャは既に終わっているので、公的に賠償の支払いを証明するために、被害者と加害者は揃ってセルの事務所を訪れ、セル長に賠償を支払った旨を伝える。セルには、誰が誰に賠償金をいくら払うかをまとめた手書きのリストが存在し、セル長は支払いを終えた加害者の名前を傍線で消す。その後、セル長は、加害者が賠償の支払いを終えた旨の書類を作成し、加害者に手渡す。ただし、派遣者はセル長の厚意でリストを閲覧させてもらったが、所々に漏れや書き損じがあり、不明瞭な箇所が少なからずあった点も付け加えておく。

なお、派遣者はキガリの警察庁に保管されているガチャチャの裁判記録を閲覧した。物的損害に関しては、判事がガチャチャにて、加害者と被害者の名前、物的損害の内容、賠償額、賠償を払う期限などを記載した書類が残されている。しかしながら、加害者が被害者に賠償を支払ったかどうかまでは確認できていないのが現状である。それゆえ、賠償の問題を詳細に知るためには、裁判記録の閲覧だけでは不十分であり、当事者やガチャチャで判事を務めていた人々への聞き取り、セルのリストの参照など、複数の情報源にあたる必要がある。

上記を踏まえて、ガチャチャの賠償は、実際にどの程度支払われているのか。派遣者が聞き取った限りでは、近隣に住むジェノサイドの被害者と加害者で、物的損害を受けた/与えた組み合わせ12組(聞き取った被害者は8 名、加害者は8名であるが、1人の加害者が複数の被害者宅で物的損害に関与している場合があるため、12組になった)のうち、被害者と加害者双方が「賠償を受け取った/支払った」と証言した組は4組であった。加害者が被害者に全ての賠償額を支払い終えていない組が1組、加害者が「被害者に賠償を支払った」と話す一方で被害者が「加害者から賠償を受け取っていない」と話し、両者に矛盾が生じる組が3組、残りの5組は加害者が「賠償を支払った」と述べるが、被害者に確認を取ることができていない。

このような現状で、ガチャチャの賠償金に関する問題は、ガチャチャが閉廷した後も、農村社会に暮らす人々に被害者と加害者という境界線を明確に認識させ、それによって当事者間に緊張が伴う場合がある。ここでは、賠償をめぐる被害者と加害者の2つの事例について述べる。ある被害者は、ジェノサイド時に家具・牛1頭・所有地の木を盗まれた。ガチャチャにて20名の加害者が特定され、1人あたり7,500Frw(約1,415円)の賠償金を支払う判決が出た。しかし被害者曰く、2名の加害者は賠償未払いであるという。未払いの加害者たちは既に亡くなっており、家族も近隣に住んでいないため、被害者は加害者の土地を買った(加害者と血縁関係はない)近隣住民に賠償の支払いを訴えた。被害者は3年前からセル長とセクター長に相談に通っていたが、結果的にセクター長は、近隣住民はガチャチャが始まる前に加害者から土地を買っている事実を理由に、近隣住民が被害者に賠償を支払う責任はないと結論づけた。仮にガチャチャの判決後に近隣住民が加害者から土地を買った場合は、賠償金支払い以外の目的で土地を売買することがガチャチャ法で禁じられているため、加害者が賠償未払いの場合、近隣住民が被害者に賠償を支払う義務が生じるという。また、派遣者が別の被害者に聞き取りを行なっている際に、賠償を要求した被害者の話は真っ赤な嘘であり、2名の加害者は既に賠償額を支払ったという証言もあった。真偽は分からないが、この事例から、賠償をめぐって、被害者、近隣住民、第三者、それぞれの立場で少なからず不満や緊張が生じていることが分かった。

もう1つは、賠償に関する加害者の例である。とある加害者の妻は、ジェノサイド時に夫が複数の家で物的損害を行い、夫が収監されている間、複数の被害者(遺族)に賠償金合計43,250FRW(約8,160円)を支払ったという。この加害者の妻は、賠償を支払い終えた際に、被害者とガチャチャに赴き、賠償の支払いを終えた旨を証明する書類を判事に作成してもらっている。しかし、2人の被害者に関しては、彼らに賠償金を支払ったにも関わらず、判事に書類を作成してもらっていない。その理由を尋ねると、被害者の性格を考えると、判事の前で「賠償をもらっていない」と主張されそうで、怖かったからだという。この事例から、賠償の問題が、被害者と加害者の境界線を明確にしていることに加えて、そこに様々な思惑や複雑な人間関係が絡みつき、被害者と加害者という線引きに緊張がともなっていることが分かる。

賠償の問題が被害者と加害者間の関係に不満や緊張のみを及ぼしているかといえば、決してそれだけではない。被害者と加害者にとって、賠償の支払いは償いのための重要な一手段として認識されているのも事実である。多くの被害者が、加害者を赦し、加害者が賠償を支払わない状況を受け入れたと話す一方で、多くの加害者やその家族が、財産である土地や家畜を売って賠償金を準備してきたのも事実である。また、加害者が賠償を支払うことができない場合、近隣の住民たちがこの問題を補おうとする動きもある。例えば、ジェノサイド時に牛を盗まれたある被害者は、加害者から未だに賠償を受け取っていないが、近隣の住民が1,650FRW(約311円)ずつ負担して、被害者の賠償額分を支払おうという動きがみられた。

ガチャチャの賠償に着目しつつ、ポスト・ガチャチャ期に被害者と加害者が混在する農村社会において、当事者たちはいかに関係を構築しているのか。今回の派遣の研究目的に対して、賠償の問題が被害者と加害者の境界線を明確にし、そこに嘘や疑いや諦めが絡み付き、不満や緊張が生じている状況は明らかである。しかしながら、だからといって当事者たちが、人間関係を完全に断絶しているわけではない。当事者たちは、被害者と加害者という社会カテゴリーの他に、「同じ村に暮らす隣人」や「友人」という社会カテゴリーにも帰属しており、場面場面に応じて関係性を維持したり、断絶したりする。例えば、村の集会、マーケット、バーなどで顔を合わせる際は挨拶をし、人によっては結婚式に招待し合ったり、家を訪ね合ったりすることもある。このように、当事者たちの場面場面に応じた関係性の維持や断絶の実践こそが、ガチャチャ後に被害者と加害者の境界線が明確に区別された農村社会における、人々の日常の再編の有り様だといえる。

今後の展開

ガチャチャ裁判の賠償問題に関しては、ルワンダ政府も賠償金の財源を確保すべく模索してきた。例えば1999年には、ルワンダ政府の総所得額の5%を被害者の賠償にあてる基金の設立が構想されたが、実現には至っていない。また、政府は賠償のための基金(Fonds  d’indememnisation: FIND)設立を提案し、その提案がガチャチャ2001年法に記載され、国会にて議論されたが、現在のところ実現していない(Bornkman 2012: 39)。ただし、民族に関係なく全てのジェノサイドの被害者に対する支援を目的とした基金FARG(The Fonds d’assistance aux rescapés du génocide)が1998年に設立され、派遣者が聞き取っている限りでは被害者に何かしらの支援がなされている場合もあるが、FARGが被害者の賠償を支払うケースは現在のところ聞いたことがない。社会法学の観点から初めてガチャチャのプロセスを体系的に分析したP.Clarkも指摘するように、ガチャチャ法では、被害者が加害者に賠償金を直接要求することや、政府が加害者に賠償金を支払うよう働きかけることに対しても、非常に不明瞭である(Clark 2010: 178)。賠償未払いの問題に対して、誰がどうやって賠償を工面するかという課題は以前から指摘されているが、現段階ではその課題を解決できていないのが現状であろう。

しかしながら、被害者と加害者が混在する農村社会において、賠償の問題をめぐり、当事者たちの人間関係に不満が生じたり緊張が走ったりしても、当事者たちは人間関係を完全には遮断することなく、被害者と加害者以外の社会カテゴリーの中で、隣人として、時に友人として、付き合っていこうとする動きがある。人々は状況に応じて自らと他者との境界線を操作し、繊細で微妙な関係性を縮めたり距離をとったりしながら、日常を再編している。

ジェノサイドやガチャチャに関する内容を聞き取ることは、当然ながら被害者にとっても加害者にとっても非常に繊細で、基本的には触れてほしくない内容である。派遣者もまた、聞き取り協力者から観察され、試されながら、関係を時に断絶されたり、維持されたりして、ゆるやかに繋がっているのが現状である。聞き取り協力者と派遣者間の信頼関係構築は現在も模索の途上であり、彼/彼女たちが発する情報にどの程度信憑性があるかどうかに関しては、注意深くなる必要があることも付け加えておく。たとえ同じ事件であっても、被害者、加害者、その事件について情報をもっている他者たちの語りは矛盾に満ちており、いわゆる「真実」にたどり着くことはできない。しかし、話し手は自らの主観を交えて出来事を記憶しており、また聞き手によってどこまで話すか話さないかを加減していることを考えると、矛盾の生起は当然の帰結であろう。むしろその矛盾が、どのような文脈から生じてくるのかを、当事者たちの人間関係、農村社会の構造、さらにはルワンダの情勢から分析していくことが、今後の課題である。

※通貨換算は2015年3月現在

参考文献
Bornkamm, Christoph. Paul, (2012) Rwanda’s Gacaca Courts; Between Retribution and Reparation, New York: Oxford University Press.

Clark, Phil. (2010) The Gacaca Courts, Post-Genocide Justice and Reconciliation in Rwanda; Justice without Lawyers, New York: Cambridge University Press.

National University of Rwanda Center for Conflict Management, Study Commissioned by National Service of Gacaca Courts. (2012) Evaluation of Gacaca Process; Achieved Results per Objective, Kigali: Republic of Rwanda.

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