[第2回全体会議]「ケニアにおける2007年末の総選挙をめぐる暴力事件の実態とその後の和解プロセス」(2011年09月23日開催)

日 時:2011年9月23日(金)
場 所:京都大学稲盛記財団記念館3階中会議室

プログラム

11:00~12:00 津田みわ(アジア経済研究所) 「調停から国際刑事裁判所へ:ケニア2007/8年紛争への取り組み」
12:00~12:30 松田素二(京都大学) 「ケニア真実正義和解委員会方式の現状と問題」
12:30~13:00 内藤直樹(国立民族学博物館) 「総選挙にともなう集団間の対立とそのローカルな解決:北ケニア牧畜民アリアールの事例」
13:00~14:30 全体討論

報告の概要

第2回全体会合では、2007年から2008年にかけてケニアで発生した選挙後暴力(Post-Election Violence: PEV)とその後の紛争処理過程に焦点を当てた発表を3名がおこなった。津田みわ氏は、PEVが発現するにいたった背景と暴力がもたらした被害についてまとめたあと、紛争後のケニア国内での調停プロセスが頓挫し、国際刑事裁判所(ICC)に事態が委ねられていった過程を説明した。2008年10月に出されたワキ委員会の報告書では、国内にPEVに関する特別法廷を設置することが勧告されたものの、国会での多数派工作が進まず法廷の設置はできなかった。そこで2009年10月に、キバキ大統領とオデンィガ首相は、ワキ委員会が同定しリスト化していたPEVに責任のある容疑者の裁きをICCに委ねる意向を表明した。2010年12月にICCは、PEVの際に「人道に対する犯罪」2件がおこなわれたとして、容疑者6人の名前を公表し、2011年3月に6人への召喚状を発行した。現在、ICCでは予審裁判部で審理がおこなわれており、「被疑者が各犯罪を行ったと信ずるに足りる充分な証拠が、存在するか否か」が議論されている。質疑では、ICCについて国内で支持しているのは都市の知識人がおもであり、むしろ召喚状が出された6人は、多くの国民から「欧米植民地勢力の犠牲となった殉教者」のような扱いを受けていることなどが論じられた。

つぎに松田素二氏は、ケニアでの真実正義和解委員会の設置にいたるプロセスと現状を説明した。委員会は2008年4月に制定された「国民調和と和解法」にもとづいて2009年8月に活動を開始したが、実質的には放置されていた。2011年4月になってようやく国内各地での公聴会を開始した。委員会の活動では、アパルトヘイト廃止後の南アフリカで設置された真実和解委員会が採用した対話型真実を重視した和解が模索されている。委員会に対しては、責任者の処罰を求める「ワキ報告書」の実行を遅らせるための政治的道具としてそれが用いられてしまう可能性がある点、独立以来、ケニア政治の中枢にあり続けた現職大統領に真実委員会を設置する正統性がない点、対象期間が1963年の独立以後の時期にかぎられており、それ以前になされた英国植民地政府による重篤な人権侵害が検討課題から除外されている点、などに対して批判もなされている。質疑では、委員会に対して一般国民がどのような評価や期待をしているのかが論じられ、国民の期待はほとんどなく、またニュースで取り上げられることもまれであり、新聞に記事が掲載されたとしても、ICC関連のそれが政治欄に載るのに対して、委員会のそれは読み物の紙面に載せられているという。また、ケニアに限らず真実委員会のような試みに西側諸国などが期待を抱くのに対して、当該国の一般市民からはあまり大きな注目を集めないのはなぜか、という問いも出された。

三人目の発表者である内藤直樹氏は、北ケニアのアリアール社会で、2006年と2007年の国会議員選挙を契機に近隣集団との間につよい敵意が創出されたあと、それが選挙後にいかに解消されていったのかを明らかにした。ケニアでは、2003年に選挙区開発基金が導入されて、各選挙区に国会議員が「自由に」使える資金が配分されるようになったことで、地域住民の選挙への関心が高まった。アリアール社会でも、同一の選挙区を構成しアリアールがそれまで「兄弟」として認識していたレンディーレの人びとが、選挙期間中に立候補者によって「敵」として同定され、集団間に亀裂が深まった。しかし選挙後には、人びとは選挙時に創出・強化された差異について語るのではなく、むしろそれを語らずに差異を隠ぺいすることをとおしてこれ以上の関係の悪化を防ごうとしている。この人びとの「語らない」という姿勢が、対立の激化を防ぐ機能を果たしていることを、内藤氏は強調した。質疑では、選挙以前の「日常」と、選挙で集団間の敵意が強化されたあとに復帰した「日常」とのあいだで、人びとの社会関係に不可逆的な変化が生じたのか否か、といった問いが出された。

全体討論の場では、最初に、ケニアのPEVを処理する際にICCのような「法による厳正な処罰」を求める立場と、より「アフリカ的」な紛争処理を求める立場との関係をどのように捉えればいいのかに関する議論が展開した。 まず、ICCが試みている「法による厳正な処罰」を求める動きに対して、ケニア国内でも批判がなされているが、その批判勢力の一部を構成しているのは政治的不処罰(political impunity)の存続を求める政治家などであり、人類学の立場からなされる「西洋社会が押し付ける普遍的正義によってではなく、アフリカの潜在力を用いて事態を解決する道を模索すべきだ」という主張は、慎重におこなわないとそのような立場と同一視されてしまう危険性が高いことが指摘された。

また、「アフリカに任せても不処罰に向かうだけだからICCが法に則ってグローバル・スタンダードで裁けばいい」という、国際社会で主張されている議論に関する考えを各人が示し、「悪いことをした人はなんらかの形で裁かれなければならない」というのが大原則として事を進められるべきである、国内での特別法廷の設置に失敗した結果としてICCに委ねられたのだからその責任はケニア政府が負う必要がある、不処罰は「やり逃げ」を長期的に再生産する可能性がつよいが、それを処罰するために外部機関が関与し、たとえば当該国にナショナリズムを喚起することの長期的インパクトも同時に考える必要がある、国際司法の側も単に地域的文脈を無視して普遍的正義を主張しているのではなく活動を重ねるごとに当該国の世論形成にも配慮しつつある、「法による処罰」を推進する権化のように映るICCであっても、容疑者を決定する過程などでは法のみに依拠して意思決定がなされているのではなく、法外の要因もつよく考慮している、といった点が論じられた。

さらに、ICCの介入に対して、アフリカの人びとが過剰にリアクションしないところに、「アフリカ的」な反応を見て取ることができるとの指摘もなされた。くわえて、紛争後処理において、ICC、国家、ローカルなコミュニティがそれぞれどのような犯罪行為を取り扱うことになるのかは、西側諸国を中心とした国際社会が設けた基準におもに依拠してなされているが、アフリカの多くの社会では「犯罪者」に対する懲罰が一般的に希薄であり、その観点から「重篤犯罪」とそれ以外の問題行為との境界線をずらしていく作業を進めていくことの必要性も論じられた。

つぎにケニアの事例にかぎらず、より一般的にアフリカの潜在力が、大規模な組織的暴力をともなう紛争の抑止や紛争後の対立勢力間の和解に、いかなる効力を有しているのか、あるいは有していないのか、に焦点を当てた議論がなされた。まず、アフリカの潜在力は現在にいたるまで軽視され続けてきたため、それを紛争の抑止や処理に適切に活用していく方途を考えていくことは必要だが、同時にそのような潜在力が機能しない局面も存在することを認識し、それを活用して解決が可能な問題とそうでない問題のちがいについて考察していく必要がある、との指摘がなされた。これと関連して、紛争が激化していく過程には、引き返すことができない地点(point of no return)が存在しており(たとえばルワンダでは1959年の「社会革命」時の暴力)、一度その地点を越えると、より大規模な組織的暴力をともなう紛争の発生を抑止することがきわめて難しくなってしまうが、逆にいえばその地点を越えてしまうまえに、潜在力を活用して、「後戻り」する可能性が残されていることも論じられた。最後に、アフリカの諸社会は、紛争がより頻繁に起きる可能性を内包し続けてきたにもかかわらず、紛争が発現するまえの段階で比較的うまくそれを抑止しえてきた社会であると特徴づけることもでき、その抑止の具体的なあり方を明らかにしていくことの必要性が指摘された。(佐川徹)

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