[第12回全体会議]「南スーダン―継続する武力紛争と共存の可能性」(2013年7月13日開催)

日 時:2013年7月13日 13:30~17:40
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階 中会議室

プログラム

13:30-14:00:事務連絡
14:00-17:40:「南スーダン――継続する武力紛争と共存の可能性」
14:00-14:15:栗本英世(大阪大学)「イントロダクション:CPA(2005年)以降の武力紛争の類型化の試み」
14:15-14:45:村橋勲(大阪大学)「民族集団間、集団内のコンフリクトと共存の可能性-CPA以降のロピットにおける諸問題」
14:45-15:15:内藤直樹(徳島大学)「帰還民と平和構築:東エクアトリア州トリット郡ロロニョ村の事例」
15:15-15:45:橋本栄莉(一橋大学)「武力紛争における予言者の役割:独立後南スーダン、ジョングレイ州の事例から」
15:45-16:00:休憩
16:00-16:30:岡崎彰(一橋大学)「「新南部スーダン」における新たな武力紛争」
16:30-17:00:栗本英世(大阪大学)「草の根平和構築の限界と可能性」
17:00-17:40:総合討論

栗本英世
「イントロダクション-CPA(2005年1月)以降の武力紛争のリストアップと類型化の試み」

包括的和平協定(CPA)以降の経緯を年表として提示するとともに、生じた紛争について、その主体(SPLA、SAF、UNMISS、スーダン政府系民兵、反乱軍、LRA、正体不明の武装集団、市民/民族集団の8主体)による類型化をこころみた。また、ヌエルの人々が1910年代に好戦的にならざるをえなかった政治・軍事的な状況を議論した。

村橋 勲
「民族集団間、集団内のコンフリクトと共存の可能性-CPA以降のロピットにおける諸問題」

南スーダンに居住する東ナイル系民族ロピットの農村社会における生業や政治体系(年齢階梯と首長制度)、内戦(第1次内戦、第2次内戦)における国内および隣国への避難と難民化した状況、和解会議とウシの返還、自衛の動きなどについて説明したのち、集団間のコンフリクト-家畜の略奪と子供の誘拐、集団内のコミュニティ間の敵対、土地争いや殺害事件について検討された。CPA後にもコミュニティ間の対立は減少せず、一見、「伝統的な」家畜の略奪のようにみえるが、内戦中あるいは内戦後に関係が悪化し、襲撃と報復が繰り返されている。地域社会では武装解除がすすまず、暴力事件が多発している。その背景には、生活改善に対する政府の取り込みが進展しない状況、民族自立の動きと対立・分裂の加速化があるのだろうと考えられる。

内藤直樹
「帰還民と平和構築―東エクアトリア州トリット郡ロロニョ村の事例」

南スーダンをふくむ紛争後社会では、紛争・人権侵害が断続的に発生する場合が多い。このため、難民・避難民状態の長期化、帰還後の再難民、国内避難民化、あるいは、難民・国内避難民の帰還がすすまないという事態が発生しやすい。そのため、難民、国内避難民、帰還民などの非自発的移民を社会に再統合するための支援が重要となる。しかし、南スーダンでは外資系企業による土地収奪がすすみ、地域社会の住民生活に深刻なインパクトを与える危険性が高いことが指摘された。東エクアトリア州のロトゥホ社会における非自発的移民に着目し、彼らがさまざまなアクターに能動的に働きかけ、生活再編に対する営みに着目すること、平和構築や地域開発にむけた草の根の実践として評価する研究の方向性が示された。村にはアマンガットという広場が必要であり、その広場には柱(アロレ)が立てられる。儀礼には、豊穣と人生の豊かさをしめすソルガムが重要である。2009年と2010年には干ばつの影響もあって、ソルガムは不作に陥った。農村生活では、人々は農耕のほかに、漁撈や採集、ウシをはじめとする家畜の飼養、雇用、年金や恩給、酒造り、都市居住者からの送金をくみあわせ、伝統的な相互扶助システムも利用していることが示唆された。一方で、復興景気をあてにした隣国のケニアやウガンダからの出稼ぎ労働、有力者による農地の取得と開発がすすめられている現状が報告された。

橋本栄莉
「武力紛争における予言者の役割―独立後南スーダン、ジョングレイ州を事例に」

橋本氏は、独立後に発生したジョングレイ州での武力衝突におけるヌエルの予言者の役割を検討した。ヌエルにおいて、予言者は伝統的に戦いを仕掛ける存在であると同時に紛争解決者としての役割を果たしてきたとされるが、植民地時代には抵抗運動を率いたとされ弾圧の対象となった。南スーダンの独立後には、民族集団間の衝突が頻発するなかで、ダック・クウェスという人物が予言者として登場してきた。彼は以前からいくつかの奇跡を起こしてきたとされるが、2011年8月に近隣のムルレからの襲撃を予言したとして、コミュニティを越えて予言者としての評判を獲得した。2011年末から2012年のロウ・ヌエルによるムルシへの襲撃では、ヌエルの白軍6000~8000人が戦いへと動員され、マスメディアではダックが率いたと報じられた。しかし橋本氏の聞き取り調査によると、ダック自身が戦いを先導したわけではなく、電話をとおして予言の情報を前線部隊に提供するなど、副次的・限定的な役割を果たしただけであった。ダックがその後に逮捕されると、地域の人びとは彼を「ウィッチ」と呼び否定的な評価をくだしていたが、まもなくなされた武装解除政策によって人びとのあいだに政府への不信感がつよまると、ダックを正しいことをした「予言者」とみなされるようになった。また人びとは、19世紀の高名な予言者であるングンデンの予言を現在のムルレとの関係を説明する際に言及するが、ダックはこのングンデンの予言を成し遂げるために現れた存在としても語られるようになった。このように今日のヌエルにおいては、予言が過去と現在、敵と味方を結び付ける媒体となっており、人びとは予言者のことばをとおして紛争の原因を同定、共有している。質疑では、この予言者の事例のどの部分に「ヌエルらしさ」がみえるのか、ダックの紛争における役割が「副次的」という評価は妥当なのか、白軍の人たちが戦場でその場にいない予言者の指示を求めたのはどうしてか、といった議論がなされた。

岡崎彰
「『新南部スーダン』における新たな武力紛争」

岡崎氏は、新南部スーダン、つまり南スーダン独立後のスーダン南部における新たな紛争の様相を明らかにした。新南部スーダンとは、地域的にはBlue NileやSouth Kordofanのヌバ山地の人びとにより構成されていたSPLA-North(スーダン人民解放軍―北部)からでてきた呼び方であるが、その後ダルフール各州の人びとによる運動体が合流し、SRF(スーダン革命戦線)が形成された。新南部スーダンには2005年以前から土地問題、資源問題、差別問題が存在した。この地域は天水農耕が可能な豊かな地域だったが、政府が世界銀行等からの融資を得て大規模な農場建設をおこなってきたし、石油などの資源も政府らが権益を握り、雇用や教育、日常生活における差別も被ってきた。そのため、この地域の人びとはSPLAに加わり南部の人たちとともに戦っていたが、2005年のCPA以降は南スーダンとは別個に戦いを進めていくことになった。2011年9月1日からはスーダン軍によるBlue Nileへの空爆もおこなわれ、地域住民はエチオピアや南スーダンへ難民化している。新南部スーダンの人たちが排除され続ける背景には、南スーダンが独立して以降、イスラーム、アラブ中心主義をつよめるスーダン政権が、自分たちの純粋さを示し統一を保つために、この地域の人びとを「内部の他者」として同定しているためである。2013年6月にはスーダンと南スーダン間の石油パイプラインが再閉鎖された。その理由の一つとして、スーダン政府は「南スーダン政府が新南部スーダンの反政府勢力を支援している」点をあげているが、その根拠は薄弱である。石油収入は南北両政府にとって重要であり、新南部スーダンの処遇が両国の関係の命運を握っているともいえる。南スーダンが独立したことは同時にスーダンが新しい国として再出発しなければならないことも意味するが、両国では新たな憲法整備も進んでいない状況である。それに対して、むしろ新南部スーダンの反政府勢力らが先駆的な多元主義的憲法案を作成している。岡崎氏は最後に「潜在力」ということばにまつわる問題群に議論を進め、国際社会が紛争へ介入することが中途半端な状態を持続させ「アフリカの潜在力」の発現を妨げているのではないか、「潜在力」を知っているのはだれなのか、「外部の研究者こそがそれを知っている」という認識があるならば問題なのではないか、もともと地域にあったなにかを「潜在力」として活用するしかないが、それを「活用する」といった途端に生じる温情主義的な立場をどうとらえるのか、国際的に批判をあびながらも政権を持続させているスーダン現政権のふるまいも「潜在力」と考えることができるのか、といった問題提起をおこなった。

栗本英世
「草の根平和会議の限界と可能性」

最初に栗本氏は、武力紛争に関するニュース情報からでは、そもそも「だれが」動員されたのかの詳細はわからないし、軍事的、社会的、医療的にも不明なことだらけであること、またメディア報道ではしばしば今日起きている紛争の歴史的文脈は等閑視されていることを指摘した。南部スーダンでは内戦中から数多の草の根の平和構築会議がおこなわれてきた。1994年のアコボ会議や1999年のウンリット会議などの成功例もあるものの、多くの会議での同意事項はその後実現されてこなかった。その理由を検討していく必要がある。一方、2005年のCPA以降は草の根の平和構築会議が開催される機会自体が減り、内戦で分断された社会が置き去りにされていることも問題である。また、草の根平和構築には限界もあるため、政府が「上からの平和」の役割を適切に果たす必要があるが、2005年以降政府はその役割を果たしていない。栗本氏が長年フィールドとしてきたパリ人とロピット人、ロトゥホ人のあいだでは、内戦勃発前に比べると人びとの往来は激減しているが、今日でもそれが途絶えてしまったわけではない。内戦中にも横断的紐帯は作用しており、それが人びとの生存にとってきわめて重要であった。このような関係は相互の生活の便宜を保障するものであり、共存を志向する人びとの関係性を地域の「潜在力」として捉えることができる。

総合討論

総合討論の場では、今年度に予定されているジュバでの国際ワークショップでどのようなテーマ設定をおこなうのか、という点が論じられ、栗本氏は①内戦中から「平和構築」という名目のもとにおこなわれてきた介入をどう評価するのか、②今日、地域の内部から生じてくる平和構築をめぐる動きにはどのようなものがあるのか、という2点を中軸に据えた議論をおこないたいと述べた。また、現在の政治経済状況においては「平和構築」にとってネガティヴに捉えられる要素も、中長期的には地域の安定にポジティヴな力をもちうる側面があることが指摘され、時間軸の取り方によって「潜在力」の内容が可変的なものとなりうることが共有された。
(大山修一、佐川徹)

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