[第4回アフリカの紛争と共生セミナー]「2013年度海外派遣者報告会」(2014年05月10日開催)

日時:2014年5月10日(土) 15:30-17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階セミナー室

プログラム

15:30-16:00
片山夏紀(東京大学大学院)
「ジェノサイド後ルワンダにおける被害者と加害者の「和解の実践」に関する研究」

16:00-16:30
山本めゆ(京都大学大学院)
「ポスト・アパルトヘイト期南アフリカにおける人種カテゴリー再編成―華人の「黒人性」をめぐる裁判を手がかりに」

16:30-17:00
池永伊奈生(神戸大学大学院)
「セネガル路上商人の二つの社会的結合―信者講(ダヒラ)と同業者組合」

要旨

ジェノサイド後ルワンダにおける被害者と加害者の「和解の実践」に関する研究
片山夏紀(東京大学大学院)

本研究の目的は、1994年に勃発し、犠牲者50~100万人と推定されるルワンダ・ジェノサイドの被害者と加害者が、ジェノサイド後、同じ村でいかに共生してきたのかを、彼/彼女らの語りの解釈から、解き明かすことである。

本研究は、被害者と加害者の共生に大きな影響を与えたものとして、2002~2012 年にルワンダのローカルレベルで実施された、ジェノサイド罪を裁く法廷ガチャチャ(Gacaca)に着目する。現地調査では、ルワンダ西部州ンゴロレロ(Ngororero)県、ンゴロレロ市N村を調査地とし、ジェノサイドで家族を亡くした被害者と、被害者の家族を殺害してガチャチャで裁かれ、服役と公益労働を終えて故郷に戻ってきた加害者双方に聞き取りを実施した。調査で明らかになったのは、日常生活において双方が積極的に交流する機会をもうけていること、すなわち「和解」を実践している状況であった。和解の実践を通じて、被害者と加害者がいかに関係を修復してきたのか、また、ガチャチャが和解の実践にどのような影響を及ぼしているのか。彼/彼女らの語りから、個人の人格だけでなく、ルワンダという社会の諸相を反映した、共生のための「潜在力」を検討する。

ポスト・アパルトヘイト期南アフリカにおける人種カテゴリー再編成
―華人の「黒人性」をめぐる裁判を手がかりに―
山本めゆ(京都大学大学院)

南アフリカでは民主化後、歴史的に不利な立場に置かれた人びとを優遇し格差是正を目指す政策が導入されたが、華人はその恩恵を受けることができなかった。これを不服とする華人コミュニティは運動を展開し、2008年に最高裁においてアパルトヘイト期の華人が「歴史的に不利益を被ったblack people」であったと公式に認定された。この判断に対しアフリカ人社会は強い反発を示した。華人はアパルトヘイト後期には「名誉白人」であったという「集合的記憶」が共有されていたこともその一因である。

1970年代後半以降、武装闘争や大規模な抗議活動が激化するなか、華人はそれらとは距離を置き白人社会との交渉を重視する傾向にあった。今回実施したインタビュー調査から明らかになったのは、華人たちはそれを「文明の高さ」として提示しているということである。すなわち、武力に訴えるよりも対話と相互理解こそが「文明的」であるという説明である。しかしこのような主張は、開放闘争の主要な担い手であったアフリカ系住民を「野蛮」の側に位置づけ、人種隔離政策の比類なき野蛮さへ批判性を喪失するという転倒を招きかねない。

裁判をめぐる一連の騒動は、南アフリカにおける白人性/黒人性には多様な解釈が存在することをあらためて示唆するものとなった。またかつて華人コミュニティが採用した「文明的」な抗議手法がアフリカ系住民の眼には白人社会への同調と映り、今日に至る反感の源泉となっているのだとすれば、人種政策への抗議をめぐるアプローチの違いは実証的にも理論的にもさらなる精査が求められるだろう。

セネガル路上商人の二つの社会的結合―信者講(ダヒラ)と同業者組合
池永伊奈生(神戸大学大学院)

2007年、セネガルの首都ダカール市で、路上商人らは当局による公道からの退去命令に反発し、大規模な暴動を起こした。それに対し政府は即座に退去命令を撤回し、暴動は終息した。なぜ政府は、政治的にあまり重要と思われない路上商人の要求に対し全面的に譲歩し、そしてなぜ路上商人もまた即時に暴動を停止したのか。

セネガルの特質の1つとして挙げられるのは国民の大半がイスラームの教団に所属していることである。路上商人セクターは、特に若年層の雇用を吸収しつつソーシャルセーフティーネットとしても機能しているが、彼らの多くはムリッド教団に属しており、社会的相互扶助の機能も持つ信者講(ダヒラ)によって集団化されている。

現地調査によって得た路上商人組合代表らの証言から見えてくる暴動の背景は、路上商人の当局に対する積年の不満、ワッド大統領(当時)の判断ミスと強権的な行動、そして食料価格高騰やエネルギー供給不足といった経済社会的困難の増大であった。それらの不安定要因がぶつかり合い、暴動が生じ、そして政府が認識を改め完全に譲歩、そして担当機関を創設するに至り、路上商人等の不満は解消し、再び暴動は繰り返されなかったと考えられる。

しかしながら、路上商人もまた即時に暴動を停止できたのはどうしてなのかという疑問が残る。今次調査では明らかにできなかったが、路上商人たちは何らかの共通基盤によってもともと組織化されていたと考えられ、その1つがムーリッド教団である蓋然性は高いと思われる。

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