[海外出張報告] 平野(野元)美佐(対立・共生班)カメルーン 海外出張期間:2017年11月18日~11月28日

「ヤウンデのインフォーマル・セクターの20年」
平野(野元)美佐

(派遣先国:カメルーン/海外出張期間:2017年11月18日~11月28日)

2017年2月~3月に引き続き、首都ヤウンデのインフォーマル・セクターの調査を行った。インフォーマル・セクターのことをカメルーンでは、「プチメチエ(小さな仕事)」と呼んだりする。1997年~1998年にかけてヤウンデに暮らしていたとき、インフォーマル・セクター事業者や従業員、つまり露天商や市場の売り子、鍵職人、メカニックなど、小さな仕事をしている人たちに、ヤウンデへの移住歴、仕事の経験などを聞かせてもらっていた。インタビューにいたる交渉が難航することや、携帯電話がない時代、約束の時間に行っても不在のこともあった。しかし、インタビューを始めると、彼らの話は例外なく面白かった。そのうち何人かは、それ以降も付き合いが続いた。そのインタビューから、早20年が経過した。10年前にも追跡調査をしており、そのとき会った人とは約10年ぶりの再会となる。

ヤウンデという都市はこの20年、近郊の農村を飲み込みながら、急速に拡大している。車が増え、人口も3倍近くになっている。中心部も、道路の拡張や建物の建築などで、様変わりしている。加えて、インフォーマル・セクターの人びとは、ヤウンデ市当局の都合により売り場を移動させられたり、追いやられたりすることが頻繁にある。もちろん、20年もたてば自己都合で場所や仕事を変わっていたりすることもある。そのようななかでの再会は簡単ではなかった。

1990年代のカメルーンは、携帯電話もメールも普及しておらず、事前に連絡をとる手段はない。20年前の記憶をもとに、彼らがいた場所に戻る。同じ場所にいなかった場合、重要なのは、周りにいるプチメチエの人たちである。探している人の名前やニックネーム、扱っていた商品・サービス、民族名、背格好などを話すと、一緒に考えてくれる。そして、思い当たる人のところに連れて行ってくれたり、電話をしてくれたり、一緒に他の人にたずねてくれたりする。そうこうするうちに、探し人にたどりつけることが多い。忙しいなか、人探しに親身になってくれる人びとに、いつも感動する。しかし、売り子たちの世代交代もあり、まったく手がかりがつかめなかったり、亡くなっていることもある。

インフォーマル・セクターに従事する人びとは、流動性が高いといわれてきた。しかし、今回の調査結果は、彼らをとりまく環境を考えると、むしろ驚くべき「継続性」を示している。インタビューした119名のうち、道端で出会った行商人など、探す手がかりがない人(15名)や亡くなった人(14名)を除けば90名になる。そのうち、現在も同じような仕事をしている人(妻や弟に任せて別の仕事をしている2名も含む)は26名(29%)であった。つまり、3~4人に1人は同じ仕事に関わり続けていたことになる。彼らは、場所を追いやられたり、商品を没収されたり、警察に嫌がらせをされたり、中国製品の流入にさらされたりするなかで、20年間、同じような仕事を継続してきたのである。

彼らの商売は、同じ場所に居続け、同じ商品やサービスを扱うことで、固定客が増え、まわりの商人や取引先との関係も深まり、経営が安定する。そのため彼らは、なるべく同じ場所で同じような仕事に従事しようとする。しかし、上記のような外的要因によって、継続の危機にみまわれる。インフォーマル・セクターが流動的に見えるとすれば、それは、彼らの気まぐれや根気のなさのためではなく、立場の脆弱性による。彼らはそのなかで、驚くべき「レジリエンス」を発揮し、再び同じような仕事、場所へと戻り続けてきた。20年以上、飲料水を頭に載せて市場を売り回った男性、小さな荷台で空き瓶を売り買いし10人の子どもを育てた老人、市当局の嫌がらせと戦いながら露店を開き続けたシングルマザー。彼らのような無数のプチメチエの人びとの潜在力(顕在力)が、ヤウンデの発展を支えてきたといえる。

今回の出張では、ヤウンデの土地に関する調査も行った。この調査はまだ始めたばかりであるが、いろいろ興味深いことがわかった。先述したように、ヤウンデは郊外へと広がっている。土地を買えば、数年後には価格が何倍にもなるというバブル的状況で、多くの人が土地を買うようになっている。富裕者ばかりでなく、先のインフォーマル・セクターのような小商人も土地を買っている。土地を売っているのは、ヤウンデ周辺の農民たちである。彼らは、「大金」を積まれて土地を売ってしまう。売ったが最後、あっという間に小村から森や畑が消え、新しい家が建ち並ぶ。ヤウンデ郊外では、そのような光景をあちこちで見ることができる。

ヤウンデ中心部でも、土地の登記にまつわるトラブルが頻発している。ヤウンデはもともとエウォンドという民族の土地であったが、独立後、カメルーン全国から人が集まり、土地を買い、家を建てた。このかつての土地購入が、今になって否定されることが頻発している。当時の売買では、土地の登記をする者はほとんどいなかった。よって、当時、土地を売った人の子ども・孫世代が、「自分の父親は騙されて二束三文で土地を渡した。この取引は無効である」と訴え始めているのである。家を建ててすでに何十年もそこに暮らしてきた人たちは当然、「土地は自分たちのものだ」と主張する。これは、「先住民」エウォンドと、「移住民」の多数を占めるバミレケとの対立でもある。このような土地問題は、行政、裁判所、伝統的権威者などを介して解決が模索されている。

長年、土地登記が進まなかった原因は、手続きの煩雑さと高額な費用にある。現在、土地の高騰とともに費用も高額になっており、ときには土地の代金を上回るという。しかし、先のようなトラブルを避けるために登記が重要だとの認識は広まっており、土地購入者は費用を捻出しようとする。この登記費用は、役人たちの新たな腐敗の温床になっている可能性もある。

このようなヤウンデの土地問題は、人口が増え続けている以上、簡単に解決するとは思えない。ヤウンデに暮らす人びとが、この難問をどのように解決していくのか、今後も注目していきたい。

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