[海外出張報告] 宗村敦子(開発・生業班)南アフリカ共和国・西ケープ州 海外出張期間:2019年2月9日〜17日

「1920年代ロンドン市場への南アフリカ果物輸出:南半球Fed-Farmsのもつ国際価格情報提供ネットワークの意義」
宗村敦子

(派遣先国:南アフリカ共和国・西ケープ州/海外出張期間:2019年2月9日〜17日)

はじめに
南アフリカ西ケープ州における農産物加工産業は製造業の中でも歴史が古く、第一次世界大戦直後にまでさかのぼることができる。そうした現地製品は当初国内消費向けであったとはいえ、1920年代になると西ケープの地中海性気候を生かした果物加工品はまずロンドンに出荷され、戦間期にはヨーロッパ市場が購買シェアの半数を占めるに至っている。本研究ではその変化の着眼点として、1921年にロンドンで設立登記された南アフリカ・ニュージーランド・オーストラリア産品専門の農産物輸出会社「海外農家共同組合連合(通称Fed-Farms)」をとり上げたい。同社は上記の三国が共同で事務所を持ち「季節性の違いを利用して南半球の農産物輸出を促進する」ことを目的としていた。同社の中では、西ケープに果物栽培事業を持ち込んだカリフォルニア出身の苗木商ハリー・ピクストン(H.E.V Pickstone)が立ち上げの中心的人物である。

ところで南アの果物とその加工品輸出は、 その産業当初から必ずしも奢侈品としての地位を確立していたわけではない。そうした場合、輸出国における輸出組合が品質の画一的管理等を担うことになろう。南アの事例でも上述のピクストンが西ケープでも南アフリカ果物輸出組合を設立しこの役目を担っていたが、それだけではなく、当時の宗主国で世界最大の果物マーケットがあるイギリスでも同様の会社としてFed-Farmsを設立していたのである。このように果物輸出組合と提携し、ロンドンに事務所をおいていた 同社の輸出促進事業とはどのような活動実態だったのか。本調査はその業務で最も重要な、ロンドンでの価格取引情報の南アへの発信に焦点を絞り、以下のような資料を使って会社設立による農産物取引へのインパクトを明らかにしたい。

資料紹介
South African Fruits Grower, Vol. X、January- December, 1923
1921年に設立されたFed-Farmsは1923年以降、南ア現地での農産物輸出業務に携わる南アフリカ果物輸出組合(Fruits Exchange of South Africa)に情報提供をする関係にあった。その主たるメディアである月刊誌South African Fruits Growerには、
・農産物の栽培技術に関する情報
・イギリスにおける果物取引商による輸出状況の報告書
・他のコモンウェルス諸国の果物輸出シーズンやイギリスへの寄港情報
・国内外の農産物価格
などが掲載されていた。

写真:果物の価格情報欄とFed-Farmsの署名記事
South African Fruits Grower, Vol. X、July, 1923, p. 252.(南アフリカ国立図書館所蔵)

この内容のうちFed-Farmsが関わった価格情報欄の構成は(1)ケープ港から出航する船の名前、(2)イギリス本国の到着先、(3)荷揚げされた時の貨物の状態、および(4)港での箱やトレーごとの価格情報、のとおりである。またその執筆者はロンドンかヨハネスブルクに支店を置くエージェント会社の社員であり、個人執筆者名は異なるものの、どの月も同じ5社がそれぞれ果物別に(1)〜(4)について報告を掲載した。これらの情報の多くは海底ケーブルを使って届けられ、その結果産業雑誌に掲載されたのはたいてい1ヶ月後であった。

1923年の刊では2月以降、エージェントらは輸出状態についての写真や助言等を掲載していたが、 6月以降そのページが価格情報に占められた。現地果物の収穫期にあたる12月から2月にかけてとくに集中して交信文が紙面で流される「価格情報欄」は1923年から登場したもので、Fed-Farmsの名前も見られる。写真のようにエージェント会社とFed-Farmsの名前が並んでいるが、特徴的なのは、イギリスでの価格情報だけでなく、オーストラリア等の出荷時期を並んで報告している点にある。つまり同会社の報告書には、ただイギリス本国と南アという本国・植民地間の市場情報だけではなく、他のコモンウェルスと出荷時期が重ならないようにする等の工夫が施されていた事もわかるのである。

おわりに
以上のようにこうした記事からは、「植民地産物の販売促進活動」という目的の実態として、国際取引価格についてもっとも専門的なとしてエージェントとしてのFed-Farmsの姿が伝わってくる。それではどのようにしてFed-Farmは収益を上げてきたのだろうか。筆者は今後、イギリス側で同じ商品がどの価格で取引され、南ア側での情報と照らし合わせた時にどれくらいの「情報の正確さ」があったのか、もしその数字に差がありそれを時系列的に見たとき、商品価格が投機的な動向を示していないかなどを検討していきたい。

また今回の資料収集ではピクストンについての個人資料を手にいれることができなかったが、ケープタウン大学図書館からの紹介をもらえたこともあり、今後セシル・ローズの事業人脈を探りながらFed-farmsのイギリスとの関係を掘り進めたい。

This entry was posted in fieldrepo. Bookmark the permalink.