[政治・国際関係ユニット第3回研究会]佐藤章「『紛争後』コートジボワールにおける『和解』の展望」(2012年01月28日開催)

日 時:2012年1月28日(土) 15:00~17:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階中会議室

プログラム

「紛争後」コートジボワールにおける「和解」の展望
佐藤章(アジア経済研究所)

報告

2011年12月の国民議会選挙で与党が勝利し、ワタラ大統領の政権基盤が強化されたコートジボワールは、とりあえず「紛争後」の時代に入ったといえる。今後は、1990年代以降の属性の政治化や排外主義の勃興から生じた問題を処理し、国内の「和解」を進めていくことが一つの課題となる。佐藤氏は、国家形成プロセスとの関係から「和解」の取り組みを捉える視座を示したうえで、同国で「和解」をめぐる最重要の問題が、フランスによる植民地化以来つくりあげられてきた「地域」間の対立構造であることを示した。つぎに、現政権下でいかなる「和解」の取り組みがなされている/いないのかをまとめた。現政権は、前大統領のバボ氏とその政権幹部を、ICC(国際刑事裁判所)と国内で裁くことを早々に表明し、現在その司法プロセスが進行中である。また、2011年9月には「真実・和解・対話委員会」を発足させたが、その権限や活動内容についてはまだ不透明な部分が多い。「和解」をめぐる取り組みがほとんどなされていない重要な課題の一つが、政党間の「和解」である。敗北したとはいえ大統領選挙でバボ氏の得票率はかなり高く、国内に根強い支持がある。現政権が議会の場で(バボ派の)野党のチェックを受けながら政権運営を進めれば、「和解」に一定の効果をもつかもしれないが、バボ派側は国民議員選挙に参加せず、議会はバボ派支持者を包摂する場となっていない。この状況は、批判勢力が議会に存在しないという点では現政権にとって好都合であるかもしれないが、国内外からの「強権化」などに対する政権批判に対しては、政権内部での権力闘争によって対処する道しか用意されていないことも意味し、将来的に政権の不安定要因として作用する可能性もある。

討論では、ICCの「和解」プロセスへの関与に関して、ワタラ政権はなぜバボ氏らの裁きをICCに委ねたのか、ICCはいかなる意図をもって関与してきたのか、ICCの関与に対する現政権の反応はどうか、フランスはICCの関与や今後の政権運営にどのような影響を与えていくのか、といった質問がなされた。「和解」に関しては、市民レベルで和解を醸成する動きはないのか、コートジボワールでは一般市民同士の殺戮はまれだったのではないか、そうだとすればエリート同士の和解だけが問題なのか、国外勢力のつよい関与がコートジボワール紛争と紛争後プロセスの特徴だが、それが内発的な和解の動きを妨げているのではないか、などの問いも出された。また、民主主義と紛争の関係にまつわる問題群も議論の対象となり、選挙の実施は属性の政治化を生んだりそれを強化することで紛争の発生を招く可能性があるが、それへの対処法としては選挙後の権力分有以外に方法はないのか、あるいは選挙前の選挙制度の変更や公正な選挙のための監視を強化することで対応できるのか、といった点について意見交換がなされるとともに、選挙が紛争のトリガーとはなっていない国との比較研究を進める必要があるとの指摘もなされた。(佐川徹)

[政治・国際関係ユニット第2回研究会]遠藤貢「ソマリランドにおける『下からの』秩序実現の取り組み」(2011年11月26日開催)

日 時:2011年11月26日 (土) 15:00~17:00
場 所:京都大学楽友会館

プログラム

15:00-17:00 遠藤貢(東京大学)
ソマリランドにおける「下からの」秩序実現の取り組み

報告

1991年1月26日にソマリアでシアド・バーレ政権が崩壊すると、同年5月18日に同国北西部に位置し旧イギリス領であったソマリランドが、「ソマリランド共和国」として独立宣言をした。ソマリランドは現在にいたるまで、国際社会から「国家」としての承認を得ていないが、混乱が続く南部ソマリア地域に比べて一定の社会的・政治的安定を確保しているとの評価がなされている。発表では、1990年代にソマリランドで国民レベルの「和解」を目的として開催された2つの会合に焦点があてられた。いずれも、地域レベルで小規模な会合を積み重ねるプロセスの中から実現した「国民」レベルの会合である。とくに1993年1~3月のボラマ会議には、「ソマリランド全体の運命を決する会合」という認識の下に、すべてのクランの長老150名が参加した。会合は多数決による決定を形式としては採用していたが、「votingは fightingと同じだ」という考えが出席者に共有され、話し合いをとおした全会一致で決議をするという方針がつらぬかれた。またその際には、通常対立しあっていると思われるクランが相互に交渉し、連携する形で会合が進展した。結果として、「ソマリランド・コミュニティ、安全と平和憲章」と暫定憲法的な色合いをもつ「国民憲章」いう二つの憲章が制定された。会合後には武装解除や職業訓練も進められ、国内に一定の秩序形成が進んだ。この会合は、国際組織からの援助があったものの、資金の大部分はソマリランダーが自主調達する形で開催されたものであり、外部関与をわずかしかともなわない、ローカル主導で実現した会合であった。これが可能になった背景には、ソマリの慣習法や長老会議の伝統、そして問題解決を図る際に交渉や対話を重視するpastoral democracyの存在などを挙げることができる。

討論では、ソマリの慣習法や長老会議と植民地化以降の社会変容との関係について議論がなされた。ソマリランドが地政学的にどのような位置にあり、どの程度の介入が植民地時代になされたのか、それがソマリの社会―政治構造にどのような影響を与えてきたのか、といった議論である。また近代化の過程で、長老制社会では年長者の権威が教育を受けた若者らによって浸食されることが他地域から報告されているが、ソマリランドではそのような事実はないのか、といった点も議論の対象となった。また、1991年以降の和平プロセスでディアスポラが果たした役割についての質問がなされ、どれほどの資金が実際に流入したのか、そのような資金の流れがクラン間のポリティクスにどのような影響を与えたのか、ディアスポラの関与が新たな対立軸をつくりだした側面はないのか、といった指摘がなされた。さらに、今後ソマリランドが国際的に承認される可能性はあるのか、その過程で(若者や女性が不在の)長老会議が主体となった意思決定のあり方を国際社会が「デモクラシー」として認知しうるのか、といった点も論じられた。(佐川徹)

[政治・国際関係ユニット第1回研究会]佐々木和之「地域共同体裁判『ガチャチャ』は和解の促進に貢献したのか?」(2011年10月28日開催)

日 時:2011年10月28日 (金) 10:30~12:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室1

プログラム

題目:「地域共同体裁判『ガチャチャ』は和解の促進に貢献したのか? 」
講演者:佐々木和之氏(Faculty of Development Studies, Protestant Institute of Arts and Social Sciences (PIASS))

報告

ルワンダにおいて、ガチャチャは国家が定めた法に基づく刑事裁判でありながらも、慣習的な紛争解決規範に基づき、加害者による謝罪や賠償を重視するなど、地域共同体レベルの和解を志向して実施されたことから、移行期正義の修復的アプローチとして注目されてきた。審理件数は120万件を超え、その活動を終えつつあり、現在その終結宣言が待たれている最終段階にあるが、その裁判記録の修正などで終結宣言の見通しが不透明である。本研究会において、佐々木氏は、修復的正義と応報的正義の関係性、ガチャチャの概要に関しての紹介を行った後で、制度設計上有していた修復的特徴について説明を行った。さらに、ガチャチャに対する様々な批判(適正な法手続の不備、「勝者の裁き」)を踏まえ、制度設計上試みられた修復的特徴が生かされたのかに関する評価が示された。フトゥの消極的なコミットメント、加害者の自白の信憑性、公益奉仕刑が公共事業向け労働力のプールとなっている点、そして国家補償の不履行といった観点から、制度が意図していたと考えられる修復的成果をあげることができなかったというのが、主な結論である。そして、この理由としては、これまでの批判としてもあげられてきた「勝者の裁き」とも通底するが、「正義と和解」という取り組み自体が、現在のルワンダにおいてきわめて政治化されているという背景が関わっており、そもそもその制度設計を含め、こうした取り組みが「誰のために」なされているかに関する問題が付随しているためである、という点が改めて確認された。

今回の報告に対して、出席者からは従来のガチャチャとの差異や、今回のガチャチャがこれまでのガチャチャのあり方に及ぼした影響などに関する質問が出された。さらには、今回の取り組みが「記録」され、将来世代に影響を及ぼしうるのかというアーカイブ化と、その記録が持ちうる政治性などに関わる論点も提起された。さらには、今回のガチャチャの取り組みが修復的正義の実現と成功しなかったとしても、今後これを触媒とした新たな取り組みがあり得るかといった論点も提起された。このほかにも、佐々木氏の現地における調査に関するこれまでの経緯などについての質問も出され、活発な議論が行われ、予定を30分以上超過し、盛況のうちに閉会した。(遠藤貢)