[第11回全体会議]「今後の研究方針の打ち合わせ」(2013年5月11日開催)

日 時:2013年5月11日(土)13:00~14:30
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階中会議室

今回の全体会議では、各ユニットとクラスターの世話人と副世話人があつまり、今後の研究活動について、以下の議論をおこなった。

議題

(1)2013年10月に京都で開催する国際シンポジウム

  • シンポジウムのタイトルは、African Potentials 2013: International Symposium on Conflict Resolution and Coexistence(和文のタイトルはつけない)
  • このシンポジウムは、10月4日(金)、5日(土)、6日(日)の三日間で開催する
  • 基調講演は、フレッドリック・クーパー氏(Fredrick Cooper:ニューヨーク大学)
  • 4つのセッションをもうけ、ひとつのセッションは、基本的に4人の発表者+コメンテータで構成
  • たとえば「日本人2人+アフリカ人2人」や「日本人2人+アフリカ人1人+欧米人1人」などの構成
  • 発表は1人の発表者に対して、質疑応答を含めて30分を予定。30分×4人=120分、コメント10分、討論20分として、ひとつのセッションが150分
  • 発表者には、300単語ほどのアブストラクトを提出してもらう。締め切りは7月31日
  • 発表者には、3000~5000words程度のプロシーディング用ペーパーを提出してもらう。締め切りは9月3日。そして、プロシーディングを10月4日に配布する

(2)カナダ・アフリカ学会の参加報告

  • カナダ・アフリカ学会は、2013年5月1日~3日に開催された
  • 大会の全体のテーマは、”Africa Communicating: Digital Technologies, Representation, and Power”
  • 本研究プロジェクトでは、高橋基樹(神戸大学)、羽渕一代(弘前大学)、内藤直樹(徳島大学)、Othieno Nyanjom(ケニア、Kenya Institute for Public Policy Research and Analysis)の4つの発表と、コメンテータのJohn Galaty (McGill University) によってひとつのセッションを構成して、研究成果を発表した。
  • セッションのテーマは、”Social Cohesion in Kenya: Changes in the State, Markets and Communication”であり、多数の参加をえて、活発な議論をかわした

(3)7月13日(土)の全体会議のテーマ「南部スーダン」

  • 今年度には、「第3回アフリカの紛争と共生、国際フォーラム」を南スーダンの首都ジュバで開催するが、それに先立って、7月13日(土)の全体会議では、「南スーダンにおける平和構築」をテーマとする研究会を開くことにし、栗本英世(大阪大学)がオーガナイザーとして、研究会の概要を説明した。

(4)若手研究者のフィールドワーク支援

  • 今年度にも、若手研究者のフィールドワークを支援することにした。

(5)2012年度の実績報告、および2013年度の交付申請書提出を提出した。

(6)今年度の全体会議、各ユニット・クラスターの研究会の日程を確認した。

(7)その他

[第10回全体会議/第3回公開講演会]瀬谷ルミ子「アフリカの平和構築:現場からの課題と今後の選択肢」(2013年03月23日開催)

日 時:2013年3月23日(土)14:00~16:00

場 所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室

プログラム

14:00-14:15 趣旨説明と講師紹介 遠藤貢(東京大学教員)
14:15-15:15 「アフリカの平和構築:現場からの課題と今後の選択肢」
瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター事務局長)
15:15-16:00 質疑と討論
16:30-17:30 瀬谷氏とプロジェクトメンバーとの意見交換会

要 旨

現代アフリカの多くの地域では、さまざまな紛争をどのように終結させ、紛争によって解体・疲弊した社会をどのように再建してゆくのか、という困難な課題に直面しています。アフリカの現場で紛争解決と平和構築の仕事にたずさわってこられた瀬谷ルミ子氏に、この問題について具体的な事例をとおしてお話しいただきました。

[第9回全体会議/第2回公開講演会]「紛争解決のためにアフリカの潜在力を活用する」(2013年1月26日開催)

日 時:2013年1月26日(土)15:00~18:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階大会議室

プログラム

15:00~15:15 太田至(京都大学)「趣旨説明」 
15:15~16:15 松本仁一(朝日新聞特別企画顧問)「アフリカは紛争解決能力があるのか」
16:15~16:35 休 憩
16:35~17:35 ゲブレ・インティソ(アジス・アベバ大学教員)「エチオピアにおける法の多元性と慣習的な裁判(Legal Pluralism and Customary Courts in Ethiopia)」
17:35~18:00 総合討論

要 旨

趣旨説明 太田至(京都大学)

現代のアフリカ諸社会は、紛争によって解体・疲弊した社会秩序をいかにして修復・再生させるのか、争いのあとで人びとはどのように和解できるのかという課題に直面しています。この講演会では、こうした現実的な課題に対処するために、アフリカ人がみずから創造・蓄積し、運用してきた知識や制度がどのように活用できるのかを考えます。

アフリカは紛争解決能力があるのか
松本仁一(朝日新聞特別企画顧問)

□結論からいうと「ある」

□例:ソマリランド(280万人)
・80年代半ば、内戦が始まる。1991年バーレ政権崩壊。
・ソマリランド内部の武力抗争は続く。約20の氏族。5万丁のカラシニコフ。
・93年、ボロマ地区の氏族長老が和平会議を呼びかけ。
・長老82人が銃を手放すことを呼びかける。民兵は警察と軍に。
・国連が注目。UNDPが銃回収方法を担当。
・02年までに民間の銃はほぼ回収。
・市場、女性ばかり。治安に信頼。
・ただ、ソマリランドは「単一民族国家」――共通の利害感覚を持てる。

□問題は多部族国家:コンゴ民主共和国、ウガンダ北部、チャド、ジンバブエ
・経済が崩壊――食えない――部族に依存――部族優位社会に。
・部族パトロンはクライアントを養うためにワイロを取る――国家経済崩壊へ

□多部族社会での対立解消は可能か――イエス。
・部族を超える価値観を持つこと。「独立闘争」の時代は部族対立は目立たなかった
・部族に頼らなくても食える社会。働けば食べられる社会がそれに代わる。

□政府に任せておいたらいつまでも「利益誘導型」でだめ
・「働けば食える」「もっと働けばもっといいことがある」のインセンティブを。
・ジンバブエのORAP。インセンティブを持つ。
・南アの対モザンビーク、対タンザニア投資。雇用と労働の質の向上。
・経済合理主義を民間主導で持ちこむ実験中。OSR。

□一筋縄ではいかない。しかしやってみる価値はある。

エチオピアにおける法の多元性と慣習的な裁判(Legal Pluralism and Customary Courts in Ethiopia)
インティソ・D・ゲブレ(アジス・アベバ大学)

エチオピアには法の多元性がある―通常の公式な裁判と非公式で慣習的な裁判の二つが併存しているのである。家族内で発生する問題は、公式な裁判以外の場で取り扱われることが多いし、また、イスラーム教徒同士の争いはイスラーム法に則した裁判所で審議されることが多い。これとは異なり、伝統的なメカニズムによって人びとのあいだの争いが解決されたとしても、それは国家の法によって承認されることがない。しかしながら最近の調査によれば、農村で生活する人びとの大部分は、紛争解決の手段として、公式な裁判よりも慣習的な裁判を好む傾向があり、それは、都市部に住む人びとの多くにもあてはまることが明らかになっている。

これまでは、慣習的な紛争解決のメカニズムは「遅れたものである」と考えられてきたし、そうした慣習を廃止して、明文化された近代的な法律に移行しなければならないとされてきた。しかしながら現在、こうした伝統的なメカニズムが妥当なものであることが認識されるようになった。そして近年には、国家の法律では解決しにくい紛争は慣習的な裁判によって処理することを、政府が推奨するケースが多くなっている。

しかし、慣習的な紛争解決のメカニズムにはいくつかの欠点がある。すなわち、人権侵害がおこったり、女性や若年層が審理のプロセスから排除されることが批判されている。そのために伝統的な裁判は、エチオピアが批准しているさまざまな国際的な手段とは調和しない、という議論がある。また、一部の地域では、殺人事件のような重大な犯罪が慣習的なシステムによって裁かれているし、村レベルの裁判によって死刑が求刑される事例もある。そのために非公式な裁判システムは、公式な裁判と衝突するようになる。

この講演では、伝統的な裁判が妥当である理由は何なのか、どうして伝統的な裁判が好まれているのかを説明する。そして、こうした傾向は好ましく見えるが、それはどのような意義をもつのか、また、慣習的な裁判を利用するためには、どのような課題があるのかを論ずる。

Legal Pluralism and Customary Courts in Ethiopia
Yntiso D. Gebre (Addis Ababa University)

In Ethiopia, plural legal systems exist: the formal (regular) court and the informal (customary) court. With the exception of family matters that may be handled outside of the regular court and disputes between Muslims that may be taken to the Sharia court, conflicts resolved through other traditional mechanisms lack legal recognition. However, research reveals that most people in rural communities and many people in urban areas prefer the customary courts over the formal law for all forms of disputes.

In the past, the customary dispute resolutions mechanisms were considered backward practices that need to be replaced by the modern codified law. Today, there exists a growing recognition of the relevance of traditional conflict resolutions. In recent years, it became evident that sometimes government authorities encourage customary courts to address conflicts that could not be resolved through the state machinery.

Customary dispute resolution institutions are not without blemishes, however. Some are criticized for violating human rights and for excluding women and the youth from participation in hearings. This places traditional courts at odds with the international instruments that Ethiopia has signed. There are also instances, in some localities, where customary courts handle hard crimes such as homicide and even pass death sentences at the village court level. This is another source of confrontation between the formal and informal systems.

In this presentation, I will explain the reasons why the traditional courts remain relevant and in some cases even dominant; the manifestations of the recent seemingly favorable trend and its implications; and the challenges associated with the use of customary courts.

[第8回全体会議/第3回東アフリカ・クラスター研究会]「紛争のないタンザニア―その要因と展望」(2012年11月17日開催)

日 時:2012年11月17日(土) 10:00~14:30
場 所:京都大学吉田キャンパス・総合研究2号館 4階大会議室(447号室)

プログラム

10:00~10:30:事務連絡
10:30~11:20:根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)
「大都市における多民族の混住と紛争回避」
11:20~12:10:伊谷樹一(京都大学アフリカ地域研究資料センター・准教授)
「農村でのもめごとと解決方法(仮題)」
12:10~13:00 昼食
13:00~13:40:中川坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)
「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
13:40~14:30:総合討論
司会:荒木美奈子(お茶の水女子大学・准教授)

要旨

1961年にイギリスからの独立を果たしたタンガニイカは、1964年にザンジバル人民共和国と連合してタンザニア連合共和国(以下、タンザニア)を樹立した。タンザニアの初代大統領となったジュリアス・ニエレレは、1967年の「アルーシャ宣言」において家族的紐帯を基礎としたアフリカ的社会主義を提唱した。これは「ウジャマー」と呼ばれる行政村を単位としつつ、自立と資源の共有を政策の中核に据えながら、争いのない平等な社会の実現に向けて集住化・集団農場の経営・スワヒリ語による初等教育の徹底といった独自の政策を含んでいた。しかし、ウジャマー村政策が実施された1970年代は、頻発する干ばつやオイルショック、ウガンダ戦争などによって国家経済が疲弊し、ウジャマー村政策の推進力は急速に失われていった。そして1985年にニエレレは退陣し、1986年には構造調整計画を受け入れて資本主義経済に政策転換した。

「アフリカの年」以降、相継いで独立を果たしたアフリカ諸国は自立的な国家の建設に取り組んだが、食料自給や経済的自立への道は険しく、貧困や政情不安のなかで政変や民族紛争が繰り返され、タンザニアはそうした近隣諸国からの難民受入国となっていた。タンザニアも連合共和国の成立から今日までのあいだに、さまざまな政策転換や経済体制の変化を経験し、ときにそれは国民に強制的な移住や厳しい経済的困窮を強いることになり、ニエレレが理想とした自立的な国家像からは乖離していった。しかしタンザニアでは、周辺諸国の内紛をよそに、この半世紀のあいだ一度も大規模なクーデターや民族間の抗争は起こっていない。無論、まったく混乱がないわけではなく、ザンジバルでは総選挙のたびに与野党間の武力衝突が起きてはいるが、それが激化・常態化したり、大規模な宗教・民族対立に発展するようなことはなかった。

経済低迷の時代を経て、2000年代中頃からアフリカ諸国は急速な経済成長を見せ始めた。その原動力となったのは地下資源であり、世界的な原油・鉱物価格の高騰と海外資本による資源の開発競争によって大量の資金がアフリカに流れ込んできたのである。タンザニアの経済成長を支えてきた一つは金鉱山であるが、すべての国民がその恩恵を受けてきたわけではなく、むしろそれにともなう物価の高騰や都市中心の政策が地方の経済を圧迫し、かえって経済格差を拡大することになっている。

本会では、過去半世紀のあいだにタンザニアにおいて大規模な紛争が起こらなかったという事実に注目し、その要因を都市・農村・政治の各視点から捉え、制度・規範・慣習・政策のなかに争いを回避する機構を探る。農村社会には日常的なもめ事を鎮静化するローカルな規範が存在し、また多民族が混住する都市社会のなかにも秩序を保つ身体化された暗黙のルールを見ることができる。こうした秩序を維持する機構は政治組織や政策にも反映されているように思える。秩序を保つうえで、タンザニアのミクロとマクロ社会を貫く共通の概念が存在するならば、それはどのようなもので、歴史のなかでどのように育まれてきたのだろうか。そしてそれは、複雑化する現代社会においても有効に機能し続けるのかどうかを検討してみることにする。

「大都市における多民族の混住と紛争回避」
根本利通(JATAツアーズ・代表取締役)

タンザニアという国家が形成された歴史的な流れを宗教・民族・教育制度などの観点から俯瞰するとともに、多くの民族が混住する都市社会において、人々はいかにして対立を回避し、また協調してきたのかを事例を通して分析する。

「農村でのもめごとと解決方法」
伊谷樹一(京都大学)

タンザニアでは法律や条令によって秩序が保たれている。しかし、農村社会には現代法では解決できない複雑な問題も多々存在し、彼らはそれを慣習的な方法で解決してきた。本会では、タンザニアの農村社会に潜むいくつかの問題を取り上げ、それへの農民の対処について報告し、農村で見られる対立の回避機構について検討する。

「安定に対するさまざまな懸念―経済成長とニエレレの理想の後退」
中川 坦(前駐タンザニア大使、元農林水産省消費・安全局長)

資源のない「平等に貧しい社会」では国民の不満も昂ぶらず、社会は低位に安定していたといってよい。しかし、2003年以降、世界的な地下資源価格の高騰によってタンザニアの経済は急速に成長し、経済的な格差が一気に顕在化してきた。ニエレレが理想とした平等な社会は、経済偏重の流れのなかで後退しつつある。タンザニアが育んできた「争いを未然に防ぐ制度や体制」は、グローバル化社会においても不安定要素を解消する機能を保持できるのか、今後のガバナンスの動向を見ながらこの国の将来を展望する。

[第7回全体会議]「今後の研究方針の打ち合わせ」(2012年07月14日開催)

日 時:2012年7月14日(土)10:00~12:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室

今回の全体会議では、各ユニットとクラスターの世話人と副世話人があつまり、今後の活動方針に関して、以下の議論をおこなった。

議題

(1)本プロジェクトの成果を国際的、国内的に発信するために、どのような道があるか。

  • 「ヨーロッパ・アフリカ会議」(2013年6月、ポルトガル:パネルの締め切りは2012年10月19日)
  • 「アメリカ・アフリカ学会(2013年11月、締め切りは2013年3月)」
  • 「カナダ・アフリカ学会(2013年5月)」
  • 「2013年京都国際地理学会議:地球の将来のための伝統智と近代知(2013年8月、関連学会とのジョイントセッション[20分の発表を4つ]の締め切りは2012年8月末)」
  • 「アメリカ・人類学会(2013年11月)」
  • 「IUAES(International Union of Anthropological and Ethnological Sciences)のInter-Congress(2014年5月)」
  • 「日本アフリカ学会(2013年5月:東京大学開催)」

(2)学会誌そのほかで、特集を組むかたちで成果の発表ができないか。

(3)2013年度には、日本で国際シンポジウムを開催するが、その開催地と時期をどうするか。

(4)2013年度の「アフリカ・フォーラム」をどこでやるか。

(5)「データ・アーカイブ」にデータをどのように集積するか。

報告

(1)第2回「アフリカ紛争・共生フォーラム」は、2012年12月8~9日にハラレで開催するが、発表者は、アフリカ人、日本人ともにほぼ確定した。
(2)今年度の若手研究者派遣について。(太田至)

[第6回全体会議]「大きな紛争から小さな”日常的”紛争へ?:住民参加の導入とアフリカの自然保護戦略の変容」(2012年05月12日開催)

日 時:2012年5月12日(土)10:00~14:45
場 所:京都大学 稲盛記念館 3階 中会議室

プログラム

10:00~10:15 事務連絡
10:15~10:30 山越言(京都大学) 「趣旨説明」
10:30~11:30 關野伸之(京都大学) 「住民対立を増幅させる住民参加型資源管理―セネガルの事例から」
11:30~12:30 大沼あゆみ(慶應義塾大学) 「自然資源の保全インセンティブに関わる利益配分の諸形態と効果」
12:30~13:15 休憩
13:15~14:15 大村敬一(大阪大学) 「『自然=社会多様性』を目指して―グローバル・ネットワークに抗するイヌイト」
14:15~14:45 総合討論

報告

趣旨説明 山越言(京都大学)

アフリカにおける環境保護をめぐる近年の潮流、国家主導型保護政策の多様化と経済原理の導入などを紹介したうえで、アフリカにおける自然資源保護の権力と政治性、地域住民への影響とその対応を検証することの重要性が報告された。近年の研究が、環境政策に対する分析とともに、住民対応というミクロな視点をもつという特徴がある。

住民対立を増幅させる住民参加型資源管理―セネガルの事例から
關野伸之(京都大学)

セネガルの漁業と海洋保護区の設立の歴史を紹介したうえで、B共同体海洋保護区における国と地域共同体組織の共同管理、生物多様性保全と地域開発の両立をめざす設立の目的が説明された。この海洋保護区における禁漁区の設置のあり方に対する意見の対立があり、海洋保護区に設立されたエコロッジは地元住民の雇用効果を生まず、不適切な経営、利益分配をめぐる争い、運営委員会の不透明な金の流れが問題となり、経済効果が疑問視されている。環境NGOがマスメディアや企業と連携すると同時に、地方議会への議員の選出など、政治に積極的に参加し、植林プロジェクトを展開している。フランス系の企業による資金提供によって、気候変動対策として、2009年現在、3670万本のマングローブ林の植林がおこなわれた。数字上は成功したとされるが、内実は失敗とされ、評価が分かれている。この植林プロジェクトを契機としてNGOが分裂し、NGOどうしが競合している。マングローブ海域の象徴種であるThiof(ハタの1種)を利用し、海洋保護区の設置によって、個体数の増加が成果として考えられているが、その評価についても意見が分かれている。援助プロジェクトでは、友人どうしのつながりでプロジェクトを動かし、住民のあいだで資源へのアクセスの不平等と不満が生まれている。共同体海洋保護区の設立によって、グローバルやナショナルな人脈とむすびついて、ローカルな紛争が発生し、その紛争が増幅させている実情が示され、試行錯誤を繰り返しながら、対立の現場から解決策を模索する姿勢が重要とされている。

自然資源の保全インセンティブに関わる利益配分の諸形態と効果
大沼あゆみ(慶應義塾大学)

共同体ベースの環境保全(CBM)では、住民が主体となって自然資源や環境保全に取り組むことが重要である。CBMの分類として、市場の利用(商業的/非商業的)、資源採取の有無(採取的/非採取的)によって4分類に分けることができる。便益の強さとしては、商業的>非商業的、採取的>非採取的となる。金銭によるインセンティブは強く、供給量を調整することで、金銭的なインセンティブを作り出すことができる。ただし、市場の不確実性が存在することで、需要の大きさが変動し、便益の安定性に影響を及ぼす。監視にかかる報酬の定額配分では、監視努力が低く、報酬が低い場合には、その保全活動は失敗する傾向にある。監視努力の費用の増加よりも、収入の増加が大きいときには、住民の選好順位は上昇する。ジンバブエにおけるCAMPFIREのサファリハンティング収入では、ハンティング収入が大部分を占め、その6割はゾウのハンティングであった。収入の50%を地域に還元し、地域住民は生活インフラの整備に充当した。CBMでの実現可能性は、コミュニティーのガバナンスの質が重要である。発生する現金収入の利益の配分には、倫理的な配分基準が関係し、それほど簡単にはいかない。貢献に応じた支払いが生産量を最大化させることが示された。

「自然=文化多様性」を目指して―グローバル・ネットワークに抗するイヌイトの選択
大村敬一(大阪大学)

大村氏は、まず極北ツンドラ地帯にくらす先住民イヌイトの先住民運動の歴史をふりかえった。先住民運動に積極的に関与して近代国家内部で「成果」を勝ち取ることは、主流社会、つまり「白人のシステム」への同化を促進することにつながる可能性もある。しかしイヌイトは、グローバル・ネットワークに部分的に取り込まれながらも、完全にそこへ吸収されずに、「イヌイト」でありつづけてきた。それは彼らが、グローバル・ネットワークでの生き方とは異なる「イヌイトの生き方」、その生き方を支える動物と人間の交歓に支えられた生業システム、そして人間と非人間から構築される自然=文化の多様性を、運動の過程で守りつづけてきたからである。大村氏は最後に、イヌイトが目指す統治のあり方として、「近代のデモクラシー」にくわえて、モノにまで拡張した民主主義、すなわち「モノの議会」の創設についての構想を論じた。

(大山修一・佐川徹)

[第5回全体会議]「今年度の活動の総括と次年度に取り組むべき課題」(2012年03月29日開催)

日 時:2012年3月29日(木)10:00~14:30
場 所:京都大学 稲盛記念館 3階 中会議室

プログラム

10:00-10:30
事務連絡
10:30-11:30
「アフリカ紛争共生フォーラム(ナイロビ)の報告と議論のまとめ」
松田素二(京都大学)、栗本英世(大阪大学)
11:30-12:30
質疑応答
13:10-14:10
「政治・国際関係ユニット」の活動報告
遠藤貢(東京大学)、武内進一(JICA研究所)
「経済・開発ユニット」の活動報告
高橋基樹(神戸大学)
「生業・環境ユニット」の活動報告
山越言(京都大学)
「社会・文化ユニット」の活動報告
松田素二(京都大学)
14:10-14:30
来年度にむけて事務局からユニットとクラスターへのお願い

報告

今年度最後の全体会議では、まず松田素二氏と栗本英世氏が、2011年12月2日から4日にかけてナイロビで開催された「アフリカ紛争・共生フォーラム」の内容と成果を報告した。フォーラムに参加したアフリカ人の研究者や活動家にとって、「アフリカの潜在力を用いて紛争を解決する」という考えは常識であり出発的である、という認識が確認されたとともに、フォーラムでの議論の対象は、その潜在力を実践で活用するときに直面する困難にどのように対処すればいいのか、という点に置かれていたことが報告された。また、アフリカの出席者からは、このフォーラムにより「紛争と共生」をめぐる論点がクリアになり有意義だったという評価が多く、次年度からの「アフリカ紛争・共生フォーラム」でも、今回のフォーラムで議題となった内容をベースに議論を進めていけばよいのではないか、そして、今回の参加者の一部には今後も本プロジェクトにかかわってもらい、次回以降のフォーラムにも参加してもらうことが望ましいのではないか、という指摘された。

次に、「政治・国際関係」「経済・開発」「生業・環境」「社会・文化」ユニットの各世話人(ただし「政治・国際関係」ユニットは遠藤貢氏が欠席のため、代理で武内進一氏)から、今年度の活動内容とそこから浮かび上がってきた論点について報告があった。それに対して代表者の太田至氏から、次年度以降、各ユニットに重点的に取り組んでもらいたい課題が提示された。(佐川徹)

[第4回全体会議]「アフリカの土地・資源をめぐるコンフリクト」(2012年01月28日開催)

日 時:2012年1月28日(土)10:00~14:30
場 所:京都大学 稲盛記念館 3階 中会議室

プログラム

10:00~10:15 事務連絡
10:15~11:15 高橋基樹・太田妃樹(神戸大学) 「所有の政治性―アフリカにおける土地問題と開発・紛争」
11:15~12:15 池野 旬(京都大学) 「政策転換・都市開発・地方公共財 ―北部タンザニア、ムワンガ県の「コモンズ」をめぐる火種」
12:15~12:45 休憩
12:45~13:45 大山修一(京都大学) 「サヘルにおける農耕民と牧畜民の土地をめぐるコンフリクト ―ローカル・ポテンシャルを活用した共生関係の再構築」
13:45~14:30 総合討論

報告

第4回全体会議では、アフリカ大陸の各地で進行中の土地をめぐる紛争と共生の問題に関して、3人(1人は共同発表)が発表をおこなった。

高橋基樹・太田妃樹(神戸大学)「所有の政治性―アフリカにおける土地問題と開発・紛争」

21世紀に入り経済成長を進めるアフリカは、いま過渡期にある。一人目の発表者である高橋基樹氏(太田妃樹氏と共同発表)は、重要なのは「どこからどこへの過度期なのか」を明確にすることであると述べる。とくに注目すべきなのは人口増加であり、2010年から2060年にかけてアフリカの人口は約2.5倍になるといわれる。これは、アフリカが土地豊富社会から土地稀少社会へ移行しつつあることを意味する。資源の稀少化は、既存の制度では調整する仕組みのない矛盾を生みだすことが多く、顕在化した対立を調整する制度的対処が必要になる。土地制度に関しては、開発経済学では、共同体的土地保有制はフリーライドを招くため、農民が土地価値を高める投資や政治的要求をする誘因を提供しないのに対して、個別的土地所有権を保障する制度を設けることで、生産性向上に資する投資や信用取引を促進すると議論されることが多い。アフリカには、1980年代の構造調整期に個別的土地所有権制度の導入が図られ、1990年代になると世界銀行内により柔軟な土地制度を容認する動きもあったが、21世紀に入ると新古典派的な土地制度論が復活した。もっとも、高橋氏が現地調査を実施したケニアの現況からは、個別的土地所有権制度の導入は排他性をともなうことで土地の稀少性をみずから生みだし、特定集団に不満を蓄積させることで政治的対立をもたらすおそれが強いことがわかる。また土地制度の形成や運用に際しては、政治家らのグリード(強欲)が深く関与していることが多い。高橋氏は、土地をめぐる紛争を予防するために、新たな土地財産権管理制度を構想することがいま求められており、その制度にアフリカの潜在的な共生の知恵をどれほど活用しうるのかを考えていく必要があると述べた。

討論では、制度の多元性と多層性、なかでも国家法と慣習法との関係をどう捉えるのかに関して議論がなされるとともに、高橋氏がいう土地問題の「暴力を排除した市民社会的な解決」とは、現在登記されている土地の所有権を尊重して事態を解決するということなのか、それとも、植民地時代から積み重ねられてきた土地をめぐる不正義の問題にまで遡って問題を打開することを意味しているのか、という質問がなされた。

池野 旬(京都大学)「政策転換・都市開発・地方公共財―北部タンザニア、ムワンガ県の「コモンズ」をめぐる火種」

二人目の発表者である池野旬氏は、タンザニアのムワンガ県における「ローカル・コモンズ」をめぐる複数の火種(調整・調停されるべき事項・争点)を紹介した。たとえば同県では、ムワンガ町の勃興にともなって新築建造物が増加し、建材への需要が高まったことで、河岸近くの土地から木や砂利が運びだされている。この土地には明確な所有権が設定されておらず、環境劣化が問題化しつつある。また、人口増加を受けて町までの水道施設が整備されたことにともない、水道公社が周辺村にも水道メーターを設置した。しかし、ある村の住民は、町が発展する以前から自分たちで水道の建設や維持管理を担ってきたという自負があり、公社からの支払い請求に反発した。村の住民は、行政や国会議員など多様なアクターとの折衝をとおして独自の水道事業を新たに開始したものの、通水時間などに関して争議が発生している。さらに、町周辺部では土地の売買が増加しており、クランが所有単位となっている土地が個人の名前で売られたり、新住民が土地を購入して流入してくることで、新たな問題が顕在化しつつある。池野氏は、武力紛争にはいたっていないが、このような多様な対立の火種が地域社会に渦巻いていることを指摘し、その対立にいかなるアクターがどのように関わっているのかを微細に検討することの重要性を述べた。また、地域住民による対処をつねに「正しい」ものとして位置付けるのではなく、研究者自身があるべき農村社会のあり方を考え、「その変容のあり方は将来的に問題を含むのではないか」という提言をすることも考えていく必要があると述べて、発表を閉じた。

討論では、土地の所有と利用の実態についてより細かな質疑がなされたとともに、池野氏が言及した村人の「環境よりまずは生活」という発言がなされた背景についての説明がなされた。また、飲料水の商品化や水道のパイプ化が地域の水資源をめぐる争いと関連を有しているのか否か、という問いも出された。

大山修一(京都大学)「サヘルにおける農耕民と牧畜民の土地をめぐるコンフリクト―ローカル・ポテンシャルを活用した共生関係の再構築」

三人目の発表者である大山修一氏は、ニジェールのサヘル地域で牧畜民と農耕民の間に発生している紛争の背景と現状を説明するとともに、日本人研究者が地域のポテンシャルを活用しながら対立関係の緩和にどう関与していくことができるのかを論じた。かつて、農耕民(おもにハウサ)と牧畜民(おもにフルベ)は農産物と畜産物を交換する経済的な共生関係を築いていた。しかし、1950年に放牧地だった土地は、現在ではほぼすべてがハウサの畑によって覆われており、牧畜民が放牧に利用できる土地は著しく減少した。その結果として今日、とくに雨季の収穫期に家畜による作物の食害が多発している。食害が起きると賠償金の交渉がなされるが、被害の実態について農耕民と牧畜民の主張が食い違うことがあるし、交渉がまとまらないときには殺傷事件に発展することもある。また、農耕民の間には貧富の差が存在し、貧しい者の富裕者への嫉妬が牧畜民に対する暴力となって表出することもあるという。一方で、新たな共同関係が形成されたり対立を緩和するための営みもなされている。2008年ごろには、農耕民と牧畜民の間でトウジンビエ団子をつくる契約が結ばれたし、食害が発生した場合には村に定住した牧畜民が交渉の仲介役を務めることで、関係のさらなる悪化を抑止している。大山氏自身も、ハウサの人びとの在来知識を活用しながら紛争を緩和するための実践を試みている。具体的には、都市ゴミを利用して対象地域の緑化を進め、緑化した土地を「村人全員」の家畜肥育に資する土地として用いることで、人びとがkowa(共同)で利用できる空間をつくりだそうとしている。

討論では、村の経済格差はもともとどのように生じたのか、といった質問に加えて、別の生態地域でも都市ゴミを利用した緑化は可能なのか、村人からみた大山氏の立ち位置はどこにあるのか、外部から人が入っていくことで現地の人びとの関係はどのように変化したのか、などといった実践に関する多くの質疑がなされた。

討論

総合討論では、アフリカでは共同体的土地保有が支配的であるために土地の経済的な価値を高める誘因が働かないので、個別的土地所有権制度を導入する必要がある、という基本的な問題規定の段階で、多くの論点が抜け落ちていることが指摘された。たとえば移動性が高い暮らしをしている人びとには、土地の価値を高めようという動機がそもそも強く存在しないはずである。さらに、人口が増加するから農業生産力を高める必要があり、そのためには個別的土地所有権を導入する必要がある…という前提自体を疑う必要があるのではないか、との指摘もなされた。これらの指摘に関連して、土地制度の問題については開発経済学者の主張が政策立案につよい影響力を有しているが、それに対してアフリカ地域研究者はどのような発言をしていくことができるのかを考えていく必要があることが論じられた。また、近年になってアフリカ全土で進行中の大規模な「土地強奪(ランド・グラッビング)」に関して、各国の法整備状況に関する議論がなされ、本来なら国民の所有権を担保すべき国家が外国資本への土地譲渡を主導している現状が確認された。これら以外にも、土地登記とは別に、実態として土地の個人所有化がどれだけ進んでいるのか、植民地時代からの「不正義」をどれだけ考慮にいれた土地問題の解決が可能なのか、といった論点が出された。(佐川徹)

[第3回全体会議]「南アフリカ共和国における真実和解委員会の活動と人びとの和解」(2011年11月26日開催)

日 時:2011年11月26日(金)11:00〜14:30
場 所:学友会館 1階 会議室

プログラム

10:00~10:15 事務連絡
10:15~11:15 阿部利洋(大谷大学)
「南アフリカ真実和解委員会の活動とその後」
11:15~12:15 峯陽一(同志社大学)
「藪の中の正義と親密圏―ある「良心的アフリカーナー」による南アフリカTRCの記録」
12:15~12:40 休憩
12:40~13:20 山本めゆ(京都大学)
「TRCにおける和解と恩赦」
13:20~14:30 討論

報告

阿部利洋「南アフリカ真実和解委員会の活動とその後」

阿部利洋氏は、南アフリカの真実和解委員会(TRC)の活動内容とその特徴、それに対してなされてきた評価や分析について論じた。TRCの活動は、1995年に制定されたTRC法がその法的基盤となったが、法文上では「真実」や「和解」という語が定義されなかった点が特徴的である。ただしTRCは自己の活動の正統性を確保するためにも、公聴会活動では精密な審査や記録をおこなった。たとえば、TRCはその活動の一つに特赦の付与を含めた点がしばしば注目されてきたが、それは「アパルトヘイトが終わったからたがいに赦しあいましょう」といった、ときに一般に理解されているような内容のものではない。特赦が付与されるためには、なされた行為が「政治的暴力」であったことと、なされた供述が「完全な供述」であることという、ふたつの要件が満たされる必要があった。また実際の特赦公聴会では、TRC委員や会場の聴衆との相互作用によって、自己の責任を否定していた加害者が態度を変更したり、謝罪をおこなった事例があったこと、そしてその場面がメディアをとおして広く国民に伝えられたことが、ふつうの裁判と大きく異なる点であった。

TRCに対する国内での反応としては、法廷での証言者の大多数をアフリカ人が占めておりバランスを欠いていた、被害者支援が不十分であった、などの指摘とともに、2001年になされた国内での社会意識調査では、TRCが人種・民族間関係の改善に果たした役割に対して否定的な回答が目立った。また、国内外から「TRCは~(たとえば、アパルトヘイト政府幹部の召喚)が不十分だった」「TRCは~(たとえば、アパルトヘイト時の汚職の調査)も権限に含めるべきだった」「TRCの基本的な方向性や発想が偏向している」といった批判もなされてきた。阿部氏は、TRCをどう評価し位置づけるのかには多様な立場があることを強調しつつ、自身としては、TRCが「何か良くない状態(たとえば人種間の対立関係)が消滅する」という意味での解決をもたらしたというよりも、南アフリカ社会に「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した可能性があること論じた。
(佐川徹)

峯陽一「藪の中の正義と親密圏―ある「良心的アフリカーナー」による南アフリカTRCの記録」

峯陽一氏は、自身がその邦訳書の解説を執筆したTRCから生まれた著作、『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室、2010年)とその著者についての報告をおこなった。TRCは、その規模の大きさと徹底的な証言記録により特徴づけられるとともに、本格的に免責の制度が導入されたこと、レイシズムに関わる責任が議論されアフリカと西洋との歴史的関係が問われたこと、そして理不尽な死が過剰に存在してきた南アフリカの社会を舞台におこなわれたことが、世界的に大きな注目を集めた理由として挙げられる。この著作は、南アフリカ人の一ジャーナリストが、TRCが進行する渦中で書きあげた「現場からの声」であり、研究者によるより「客観的な」研究成果を補う著作として位置づけうる。また、アパルトヘイト時代の加害者と被害者の関係は、白人と黒人の関係に一対一で対応させられる単純なものではなく、解放運動に関与して殺害された白人や警察のスパイとなった黒人の存在などもありこみいっているが、この著作ではそのような関係のあり方が一定の複雑さを保ちながら描かれている。

著者のアンキー・クロッホは、17世紀半ばにその最初の移民が現在の南アフリカへ入植してきた大陸(おもにオランダ)系白人の子孫、アフリカーナーに属している。アパルトヘイト時代、南アフリカで「ふつうに」くらしていた白人の多くは、大規模かつ組織的になされていた黒人への差別や人権侵害を意識しないままに生活を送ることができた。TRCの場で明るみになった途方もない暴力行為を記者として伝える役割を担った著者は、なによりみずからが「加害集団」の一人であったという事実に直面し、つねにその事実に立ち返りながら記述を進めていく。クロッホは、TRCが次第に国民党やANCらの党利党略の対象とされていったことも批判的に記す。それと同時に、TRCの全プロセスを取材し続けた彼女は、新たな「南アフリカ人」コミュニティをつくりあげていくための条件となる、個人がみずからの罪と責任を認めつつ帰属集団のなかで名誉を保ち続けること、つまり「贖罪と名誉の高次元での融合」の可能性を展望しながら著作を閉じる。(佐川徹)

山本めゆ「TRCにおける和解と恩赦」

山本めゆ氏は、真実和解委員会における恩赦の認定プロセスを検討したうえで、過去の暴力をめぐる解釈の対立、「正義」の認定が困難な状況を明らかにした。恩赦委員会は、1960年代から1994年までの政治的目的と結びつき、アパルトヘイト体制下でおこなわれた個人の行為、不作為、違反を対象としており、恩赦の認定には、過去の加害行為について告白することが条件となされた。恩赦の申請数は7,115件であり、うち1,167件に恩赦が付与された。その申請の多くは、服役中の囚人から提出されたものであり、アパルトヘイト政府の指導者や軍高官からの申請は少なかった。恩赦については、ANCメンバーが一括で恩赦を受けたことに対する旧体制側からの批判と、レジスタンスの暴力は免責されるべきなのかというANC知識人からの批判があった。そして、反アパルトヘイト闘争とアパルトヘイトを支えるための闘争を区別することの是非に対するそれぞれの見解を紹介したうえで、マンデラが真実和解委員会の実効性をもたせる発言をおこない、ANCの諜報機関などが恩赦を申請し、ANC内部の批判勢力を抑えたことが説明された。そして、アパルトヘイト体制における暴力を倫理的に区別することはできるのか、そして、対抗するための暴力は犯罪なのか、真実和解委員会における問題点を整理し、「正義」の認定が難しい現代の紛争の特徴を示した。(大山修一)

討論

討論では、まずTRCを、それ自体として完結した制度や営みとして捉えることの問題が二つの観点から指摘された。一つは、TRCの活動は、南アフリカ社会やその歴史の捉え方を転換させる一つの大きな契機となったことは確かだが、それを紛争処理や和解の終結点とみなすことは妥当ではないという指摘である。TRCが「法的な真実」以外にも「複数の真実」を認め、それらも証言や記録の対象とすることで、通常の司法プロセスでは無視されるアパルトヘイトをめぐる多様な意見や解釈を掬い取ったことは事実である。しかし、そこからもこぼれ落ちてしまう多くの声があり、TRC以外にも、そしてTRC以後にもそのような声を拾い出す試みがなされている。

もう一つは、南アフリカで紛争処理がどれだけ効果的になされたのかという問題を、TRCの制度的問題に還元して説明することは適切ではないことが論じられた。なぜなら紛争処理のあり方は、紛争がどのように始まり、展開し、終結したのか、そして終結後にどの勢力が政権に就いたのか、といった点に規定されることになるからである。移行期司法/正義がなしうることの幅は、あくまで当該社会がそれまでたどってきた経路につよく依存して決定される。これに関連して、アフリカのポテンシャルの「活用」を考える際には、その国や地域で起きた紛争のあり方とその後の体制のあり方を個別的に検討することで、どれだけ紛争処理にポテンシャルが活用できるのかを探っていくことができるかもしれない。

アフリカのポテンシャルについては、阿部氏がTRCは「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した、と指摘している部分に、アフリカのポテンシャルをみてとることもできるのではないか、とのコメントがなされた。阿部氏の述べる「交渉・取引・競合」とは、たとえばアフリカで観察される儀礼の実態と似ている。つまり、機能主義的解釈が想定する「儀礼の執行をとおしてコミュニティが一体化する」というように事態が一方向的に進展することは実際にはまれで、儀礼はしばしば失敗する。しかし、人びとは儀礼を根本的に誤りだとみなすのではなく、儀礼を何度もやり直しながら、そのたびごとに交渉し折り合いをつけ「短期の真実」を見出していくことで事態に対処している。そのような交渉による対処可能性の道が残されていることが、ある種の希望を生み出しているのではないか、という指摘である。

その一方で、TRCが「武力衝突から(非暴力的な)交渉・取引・競合関係への移行」をもたらす媒体として作用した側面があることは確かだとしても、TRCが果たして反アパルトヘイト闘争に参加し命を落とした人びとの思いに見合う場となったのか、あるいはその遺族たちの生活の保障に結びつくような均衡の回復へと向かう流れを南アフリカにつくりだすことができたのか、さらには、TRCにはだれが対等なプレーヤーとして参加することができ、だれが参加できなかったのか、そもそもそのような対等性を確保するためのどれだけの努力が払われたのか、という疑問も出された。くわえて、17世紀半ばから続く差別の歴史を裁くためには、TRCはわずか2年半で終わらせるべきものではなく、むしろ現在まで続けられていてもおかしくなかったのではないか、との指摘もなされた。

最後に、前回のケニアの選挙後暴力を主題とした研究会での議論と重なるが、アフリカにおける紛争処理の全体像を考える際に、アパルトヘイトのような大規模な人権侵害行為はITTや国内法廷などの「法による裁き」をとおして、よりローカルな文脈で発生した紛争はアフリカのポテンシャルを活用することをとおして処理していく、というある種の分業体制を想定することに関する意見交換がなされた。(佐川 徹)

 

[第2回全体会議]「ケニアにおける2007年末の総選挙をめぐる暴力事件の実態とその後の和解プロセス」(2011年09月23日開催)

日 時:2011年9月23日(金)
場 所:京都大学稲盛記財団記念館3階中会議室

プログラム

11:00~12:00 津田みわ(アジア経済研究所) 「調停から国際刑事裁判所へ:ケニア2007/8年紛争への取り組み」
12:00~12:30 松田素二(京都大学) 「ケニア真実正義和解委員会方式の現状と問題」
12:30~13:00 内藤直樹(国立民族学博物館) 「総選挙にともなう集団間の対立とそのローカルな解決:北ケニア牧畜民アリアールの事例」
13:00~14:30 全体討論

報告の概要

第2回全体会合では、2007年から2008年にかけてケニアで発生した選挙後暴力(Post-Election Violence: PEV)とその後の紛争処理過程に焦点を当てた発表を3名がおこなった。津田みわ氏は、PEVが発現するにいたった背景と暴力がもたらした被害についてまとめたあと、紛争後のケニア国内での調停プロセスが頓挫し、国際刑事裁判所(ICC)に事態が委ねられていった過程を説明した。2008年10月に出されたワキ委員会の報告書では、国内にPEVに関する特別法廷を設置することが勧告されたものの、国会での多数派工作が進まず法廷の設置はできなかった。そこで2009年10月に、キバキ大統領とオデンィガ首相は、ワキ委員会が同定しリスト化していたPEVに責任のある容疑者の裁きをICCに委ねる意向を表明した。2010年12月にICCは、PEVの際に「人道に対する犯罪」2件がおこなわれたとして、容疑者6人の名前を公表し、2011年3月に6人への召喚状を発行した。現在、ICCでは予審裁判部で審理がおこなわれており、「被疑者が各犯罪を行ったと信ずるに足りる充分な証拠が、存在するか否か」が議論されている。質疑では、ICCについて国内で支持しているのは都市の知識人がおもであり、むしろ召喚状が出された6人は、多くの国民から「欧米植民地勢力の犠牲となった殉教者」のような扱いを受けていることなどが論じられた。

つぎに松田素二氏は、ケニアでの真実正義和解委員会の設置にいたるプロセスと現状を説明した。委員会は2008年4月に制定された「国民調和と和解法」にもとづいて2009年8月に活動を開始したが、実質的には放置されていた。2011年4月になってようやく国内各地での公聴会を開始した。委員会の活動では、アパルトヘイト廃止後の南アフリカで設置された真実和解委員会が採用した対話型真実を重視した和解が模索されている。委員会に対しては、責任者の処罰を求める「ワキ報告書」の実行を遅らせるための政治的道具としてそれが用いられてしまう可能性がある点、独立以来、ケニア政治の中枢にあり続けた現職大統領に真実委員会を設置する正統性がない点、対象期間が1963年の独立以後の時期にかぎられており、それ以前になされた英国植民地政府による重篤な人権侵害が検討課題から除外されている点、などに対して批判もなされている。質疑では、委員会に対して一般国民がどのような評価や期待をしているのかが論じられ、国民の期待はほとんどなく、またニュースで取り上げられることもまれであり、新聞に記事が掲載されたとしても、ICC関連のそれが政治欄に載るのに対して、委員会のそれは読み物の紙面に載せられているという。また、ケニアに限らず真実委員会のような試みに西側諸国などが期待を抱くのに対して、当該国の一般市民からはあまり大きな注目を集めないのはなぜか、という問いも出された。

三人目の発表者である内藤直樹氏は、北ケニアのアリアール社会で、2006年と2007年の国会議員選挙を契機に近隣集団との間につよい敵意が創出されたあと、それが選挙後にいかに解消されていったのかを明らかにした。ケニアでは、2003年に選挙区開発基金が導入されて、各選挙区に国会議員が「自由に」使える資金が配分されるようになったことで、地域住民の選挙への関心が高まった。アリアール社会でも、同一の選挙区を構成しアリアールがそれまで「兄弟」として認識していたレンディーレの人びとが、選挙期間中に立候補者によって「敵」として同定され、集団間に亀裂が深まった。しかし選挙後には、人びとは選挙時に創出・強化された差異について語るのではなく、むしろそれを語らずに差異を隠ぺいすることをとおしてこれ以上の関係の悪化を防ごうとしている。この人びとの「語らない」という姿勢が、対立の激化を防ぐ機能を果たしていることを、内藤氏は強調した。質疑では、選挙以前の「日常」と、選挙で集団間の敵意が強化されたあとに復帰した「日常」とのあいだで、人びとの社会関係に不可逆的な変化が生じたのか否か、といった問いが出された。

全体討論の場では、最初に、ケニアのPEVを処理する際にICCのような「法による厳正な処罰」を求める立場と、より「アフリカ的」な紛争処理を求める立場との関係をどのように捉えればいいのかに関する議論が展開した。 まず、ICCが試みている「法による厳正な処罰」を求める動きに対して、ケニア国内でも批判がなされているが、その批判勢力の一部を構成しているのは政治的不処罰(political impunity)の存続を求める政治家などであり、人類学の立場からなされる「西洋社会が押し付ける普遍的正義によってではなく、アフリカの潜在力を用いて事態を解決する道を模索すべきだ」という主張は、慎重におこなわないとそのような立場と同一視されてしまう危険性が高いことが指摘された。

また、「アフリカに任せても不処罰に向かうだけだからICCが法に則ってグローバル・スタンダードで裁けばいい」という、国際社会で主張されている議論に関する考えを各人が示し、「悪いことをした人はなんらかの形で裁かれなければならない」というのが大原則として事を進められるべきである、国内での特別法廷の設置に失敗した結果としてICCに委ねられたのだからその責任はケニア政府が負う必要がある、不処罰は「やり逃げ」を長期的に再生産する可能性がつよいが、それを処罰するために外部機関が関与し、たとえば当該国にナショナリズムを喚起することの長期的インパクトも同時に考える必要がある、国際司法の側も単に地域的文脈を無視して普遍的正義を主張しているのではなく活動を重ねるごとに当該国の世論形成にも配慮しつつある、「法による処罰」を推進する権化のように映るICCであっても、容疑者を決定する過程などでは法のみに依拠して意思決定がなされているのではなく、法外の要因もつよく考慮している、といった点が論じられた。

さらに、ICCの介入に対して、アフリカの人びとが過剰にリアクションしないところに、「アフリカ的」な反応を見て取ることができるとの指摘もなされた。くわえて、紛争後処理において、ICC、国家、ローカルなコミュニティがそれぞれどのような犯罪行為を取り扱うことになるのかは、西側諸国を中心とした国際社会が設けた基準におもに依拠してなされているが、アフリカの多くの社会では「犯罪者」に対する懲罰が一般的に希薄であり、その観点から「重篤犯罪」とそれ以外の問題行為との境界線をずらしていく作業を進めていくことの必要性も論じられた。

つぎにケニアの事例にかぎらず、より一般的にアフリカの潜在力が、大規模な組織的暴力をともなう紛争の抑止や紛争後の対立勢力間の和解に、いかなる効力を有しているのか、あるいは有していないのか、に焦点を当てた議論がなされた。まず、アフリカの潜在力は現在にいたるまで軽視され続けてきたため、それを紛争の抑止や処理に適切に活用していく方途を考えていくことは必要だが、同時にそのような潜在力が機能しない局面も存在することを認識し、それを活用して解決が可能な問題とそうでない問題のちがいについて考察していく必要がある、との指摘がなされた。これと関連して、紛争が激化していく過程には、引き返すことができない地点(point of no return)が存在しており(たとえばルワンダでは1959年の「社会革命」時の暴力)、一度その地点を越えると、より大規模な組織的暴力をともなう紛争の発生を抑止することがきわめて難しくなってしまうが、逆にいえばその地点を越えてしまうまえに、潜在力を活用して、「後戻り」する可能性が残されていることも論じられた。最後に、アフリカの諸社会は、紛争がより頻繁に起きる可能性を内包し続けてきたにもかかわらず、紛争が発現するまえの段階で比較的うまくそれを抑止しえてきた社会であると特徴づけることもでき、その抑止の具体的なあり方を明らかにしていくことの必要性が指摘された。(佐川徹)