[班研究会] ジェンダー・セクシュアリティ班第4回研究会(2017年6月17日開催)

日時:2017年6月17日(土)10:00 – 13:00
場所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2

報告1 香室結美(熊本大学)
「ナミビア・ヘレロの美の諸相貌:植民地主義・ファッション・親族」

本発表では、南部アフリカ・ナミビアで暮らす牧畜民ヘレロが着用する「民族衣装」が、植民地時代の経験を通して構築されてきた「ヘレロ」というアイデンティティと強く関わるものであると同時に、広くファッションの一部でもあるという衣服と美の複数の相貌(aspects)を示した。

現在、ヘレロ女性は水平に突き出したヘッドドレスと靴が隠れるほどのロングドレス、ヘレロ男性は軍服風のユニフォームという「民族衣装」を日常生活や冠婚葬祭等の儀礼で着用する。これらの衣服は19世紀末以降、西洋からの移住者の装いに影響を受けて着用されるようになり、形を変えながらヘレロ独特の衣服として定着した。

ヘレロはドイツ植民地支配に対し反乱を起こしたとされるヘレロの「英雄」サミュエル・マハレロの埋葬(1923年)を契機として、ドイツ人移住者との戦いと虐殺、そこで死んだ祖先を想起し、マハレロ一族の墓まで隊列を組み行進する記念式典を毎年開き始めた。マハレロ一族を自分のチーフとして支持する人々は、マハレロ一族の色とされる「赤」を自分たちの色としてロングドレスや軍服風ユニフォームに取り入れ、赤い旗を掲げる「赤旗」を組織した。さらに、ゼラエウア一族を自分のチーフとする人々は「白」を、カヒメムア一族を自分のチーフとする人々は「緑」を用いてそれぞれの「旗隊」を組織し、各チーフ一族の墓まで行進するようになった。各色は各チーフの性格を象徴するオーラルヒストリーを通して物語られる。各記念式典は、自分が「ヘレロ」であるというアイデンティティと、どのチーフ一族に属しているのかというヘレロ内部における立ち位置とを強烈に示す場だといえる。

集団としてのヘレロは、ドイツ植民地支配とその後の南アフリカによる統治(アパルトヘイト政策)によって構築された政治的カテゴリーである。そして、ヘレロの人々自身は、植民地時代に移住者や植民者との接触を通して知った衣服、色、旗、行進を自分たちの文化として繰り返し実践することで身につけ、ヘレロとしてのスタイルと意識を培ってきたと考えられる。

一方、ヘレロの人々は、ロングドレスと軍服風ユニフォームを「おしゃれ」、「美しくなれる」、「デザイン性が高い」、「かっこいい」といった理由からも着用していることが現地調査で明らかになった。ロングドレスを着る女性は、ゆっくり堂々とした優雅な動きとふるまいを求められる。加えて近年では、ヘレロが組織するモデリングコンテストや国内のファッションショーに留まらず、アフリカ全土のデザイン性が高い衣服を披露するファッションショーにロングドレスが出展され、コンテクストを排したファッションとしての面白さが注目を集めている。

本発表では、現代を生きるヘレロの人々が独特の衣服を着るうえで複数の原理を持ち、複数の着こなしを実践していることを示した。「民族衣装」を見るものはまずそこに特定の意味やアイデンティティのみを読み込もうとするが、それらを着用する本人たちは衣服をより多様に楽しんでいる。ヘレロは自分たちの衣服をより「美しく」「かっこよく」着こなそうと変形させ、結果として新しいヘレロらしさを創造し続けているのではないだろうか。

発表後、参加者からヘレロの日常的な装いと浪費の度合い、ナミビア国内の政治状況(各「エスニック・グループ」の民族意識の高まり)とヘレロの衣服が独特の形を取り始めた時期の重なり、祖先とチーフの捉え方、色の捉え方、ドイツ植民地政府による統治の形態、ロングドレスを着ることとジェンダー的抑圧について等、コメントや指摘を受け、今後の調査研究における課題が明らかになった。今後班内で、衣服、ファッション、身体変工をテーマに議論を続けることも可能であると考えられ、メンバー間で関心を共有しながら考察を深めていきたい。

報告2 Getaneh Mehari (addis ababa university)
‘Cursed or blessed? Female Genital Cutting in the Gamo Cultural Landscape, South Western Ethiopia’

Female genital cutting (FGC) is a widely blamed practice for violating women’s reproductive rights and health. However, the diversity and complexity of FGC-related beliefs and practices within the same cultural setting have never been adequately explored. This paper aims at examining this issue in the context of Gamo cultural procedure relying on ethnographic data gathered from selected communities. The findings revealed that the Gamo cultural setting exhibits a considerable internal diversity related to the meanings and practices of FGC. Taboos prohibiting and cherishing FGC are pervasive across Gamo communities that share the same general culture. FGC is regarded as a polluting practice in some communities and as a purifying process in others. In this diverse and complex cultural landscape, girls/women are protected from FGC in some communities, while they are forced to undergo FGC in other communities in different local contexts. The paper concludes that blaming African cultures for exposing women to FGC and for violating their physical integrity could be a crude generalization of a complex phenomenon because in some circumstances, FGC-related discourses and practices are contested within the same cultural setting; and in some African cultures, the notion of women’s physical integrity is highly valued.

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