[地域研究学会連携] 東南アジア学会第99回研究大会(2018年5月27日開催)

「アフリカ潜在力」プロジェクト・東南アジア学会合同パネル
タイトル:東南アジアとアフリカの移行期正義とその後――和解と社会統合をめぐる比較検討

日時:2018年5月27日(日)9時15分~15時
場所:北九州市立大学北方キャンパス

  • 司会:小林知(京都大学)
    趣旨説明「東南アジアとアフリカの移行期正義とその後――和解と社会統合をめぐる比較検討」
  • 第1報告:福武慎太郎(上智大学)
    「紛争と和解の語られ方――東ティモール受容真実和解委員会(CAVR)最終報告書『Chega!』を読む」
  • 第2報告:上田達(摂南大学)
    「和解の軌跡――東ティモール・ディリにおける暴力と信仰」
  • 第3報告:井上浩子(大東文化大学) 
    「誰がネイションを代表するのか――現代東ティモールにおける国家構築の政治化」
  • 第4報告:小林知(京都大学)
    「カンボジアにおける移行期正義の二重構造がもたらした問題」
  • 第5報告:阿部利洋(大谷大学)
    「南アフリカの移行期正義における意図せざる結果」
  • ディスカッサント1:中西嘉宏(京都大学) 
    「東南アジア研究・政治学の視点から」
  • ディスカッサント2:松田素二(京都大学) 
    「アフリカ研究・文化人類学の視点から」

1990年代以降、紛争後の社会再統合を掲げてグローバル化した政策オプションとして移行期正義がある。その取り組みはラテンアメリカやアフリカで始まり、東欧や東南アジアへと波及し、現在にいたっている。この合同パネルでは、東南アジア(東ティモール、カンボジア)とアフリカ(南アフリカ)で実施された移行期正義の取り組みを比較し、活動の背景にどのような同時代性を見て取ることができるか、また、各地で実施された事例を通じてどのような共通の課題を認識することができるか、を明らかにすることを目的に報告と議論が行われた。

第1報告(福武)では、まず、2005年に公開された東ティモール真実和解委員会報告書の概要が紹介され、「東ティモールの人々自身がどのように暴力行為に関与したのか」も踏まえた歴史記述を採用している点に注目した。第2報告(上田)は、東ティモールの移行期正義政策の外部で展開してきたローカルな和解の文脈に焦点をあて、とりわけ、「青年の十字架」と呼ばれるカトリックの信心業(文化的匠とともに、一年単位で各地を巡る)が、対立関係・治安の改善に果たした役割について考察した。第3報告(井上)では、UNTAET期(1999-2002年)の制度構築が外国人によって主導されたことから、東ティモール民主共和国の成立(2002年5月)以降、国内の制度・行政機構において外国人専門家の排除、排外主義的な言説の広まり、「伝統」の再興を掲げる中央集権の強化が見られる点が指摘された。第4報告(小林)は、民主化後のカンボジアにおける和解の問題を取り上げ、なかでも1994年7月に起きた汽車襲撃事件の判決に注目した。元軍中佐らが殺害した犠牲者の中には外国人が含まれており、いったん適用された恩赦が棄却され、無期懲役となった。報告では、この一連の動きに対して、「恩赦の後に加害者と被害者が共に席につき、和解へ向けた対話が生じる可能性があったのではないか」と考察された。第5報告(阿部)は、南アフリカ以降、グローバルに展開することになった移行期正義プロジェクトに対する先行研究の動向を踏まえた上で、同プロジェクトが実施される移行期社会に独特の条件をより検討する余地のあることが指摘された。その際に有効なアプローチとして提案されるのが「意図せざる結果」概念の適用であり、実証的な比較研究へ向けての共通項となりうるとした。

以上の報告に対して、ディスカッサント1(中西)からは、記録・記憶の方法という観点から報告書や文書がもつ社会的効果をどのように考えられるか、こうした政治的な移行期プロジェクトにおける宗教的な要素をどのように理解するか、等の論点についてコメントと質問がだされた。ディスカッサント2(松田)からは、いま移行期正義政策を比較検討する意義はどこにあるか、排他的な国民形成への後退とみえる中で移行期正義の取り組みが持ちうる効果は何か、といった問題が提起された。その後総合討論において、移行期正義が当該社会の文脈で持ちうる効果や潜在性に関して、活発な議論が行われた。

(文責・阿部)

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