【2013年度派遣報告】池永伊奈生「セネガル路上商人の二つの社会的結合―信者講(ダヒラ)と同業者組合」

(派遣先国:セネガル/派遣期間:2014年2月~3月)
「セネガル路上商人の二つの社会的結合―信者講(ダヒラ)と同業者組合」
池永伊奈生(神戸大学大学院国際協力研究科・博士後期課程)
キーワード:路上商人, 都市暴動, ムリッド教団, 同業者組合

研究目的

現在のポンピドゥー通り。かつては路上商人の簡易店舗によって歩道は占拠されていた。

2007年、セネガルの首都ダカールにおいて、路上商人らによる大規模な暴動が発生した。政府当局による公道からの退去命令に反発した彼らは、市街地で破壊活動を行い、政府の命令に激しく抗議した。それを受け、当局側は速やかに退去命令を撤回し、暴動は終息した。政府は、路上を占拠し無許可で経済活動を行っている、すなわち、不法な存在である路上商人の要求に対し、なぜ全面的に譲歩したのだろうか。

それを考える上で有用な手がかりとなるのが、セネガル社会の特徴の1つであるイスラーム教団、特にムリッド教団の存在である。セネガル地域研究においては、ムリッド教団は「国家の中の国家」と言われるほど、セネガル社会に強い政治経済的影響力を及ぼしているとされている。その一方、ムリッド教団あるいはその信徒らの活動は、一般に非公式的に、ないし、私的領域で展開されており、個々の社会的事件・事柄に対し彼らがどのように関与しているかは必ずしも明らかではない。

そこで本調査では、2007年の路上商人暴動の展開にムリッド教団がどのように関与していたか(あるいはしなかったか)を明らかにするため、(1)暴動の舞台となった、サンダガ公設市場付近のポンピドゥー通りの現在の状況、(2)暴動の詳しい経緯、(3)ダヒラと呼ばれるムリッド教団の信者講と路上商人との関係、等について聞き取り調査を実施した。

調査から得られた知見

ポンピドゥー通り沿いに建設された商業施設。

先ず、ポンピドゥー通りの現在の状況を観察した。サンダガ市場周辺は、1970年頃からインフォーマルな商業活動が活況を呈していたが、2013年4月の撤去追放措置以降、この通りから路上商人たちの姿は消えていた。それまで路上で商売をしていた人々は、ポンピドゥー通り沿いに建設された、3つの商業施設に分散して移転したという。しかしその施設の敷地規模はポンピドゥー通り両端の歩道の総面積よりも明らかに小さく、そこに収容されなかった者は、ダカールの他の市場に移動したか、村に帰ってしまったという。

ダカールでは従来より定期的に、路上商人の撤去追放措置が実施されてきた。その度に路上商人らは、その場では素直に命令に従い、ほとぼりが冷めた頃にまた再占拠する、ということを繰り返してきた。しかし現在は、警察が常時サンダガ周辺を警邏しており、再占拠は不可能であるという。

次に、2007年の路上商人暴動については、関係者らへのインタビューから以下の様な経緯が明らかとなった。

この暴動の契機となった撤去追放措置の際、当局は路上商人に対して然るべき予告をせず、また退去後の移転先も準備していなかった。路上商人らは1週間仕事ができず、食べるものにも困るようになり、次第に追い詰められていった。暴動は、ある警官が女性商人を殴打したことで始まった。そこで生じた路上商人の蜂起はダカール中に拡散し、大規模な暴動に発展した。

暴動発生後、ワッド大統領(当時)は首相に対し、事態を終息させるため調整会議の開催を命じ、その会議に路上商人組合の代表者も招かれた。政府が路上商人側との交渉を決心したのは、路上商人の強硬な抵抗がワッド大統領の想定を超えたものであったこと、また、この路上商人暴動が大衆暴動に発展することを恐れたからであるという。その後、政府は路上商人の政治的取り込みを企図し、ASMA (路上商人定住化局)を設立した。

さらに筆者はダヒラについての聞き取り調査を行った。ダヒラは第一義的には信仰を実践する場であるが、ムリッド信徒を組織化し、人員や資源を動員するムリッド教団の下部組織でもあり、またトンチンなどを通じた信徒の相互扶助の場でもある。

ダヒラは生活上の相互扶助を提供するが、路上商人を仕事の上でサポートするものではなく、またムリッド教団自体も、信徒全体に向けて労働・経済活動を奨励するだけであり、具体的な指示や直接的な支援を行うわけではない。ただ、村落部に見られるダーラと呼ばれるムリッド教団の村落共同体は、間接的に彼らを支援していると言う。都市部に単身で出稼ぎに来た男は、妻子をダーラに預けることができる。ダーラでは、マラブー(導師)のもと信徒たちがコーランを学びながら農作業に従事するが、そこでは最低限の衣食住が保障されるため、安心して家族を預けることができるのである。

今後の展開

サンダガ公設市場付近。2007年路上商人暴動はこの地区一帯で発生した。

2007年の路上商人暴動は、先ず政府の強権的・一方的な措置に対する、路上商人の不満の増大から発生した。それを重く見た政府は、さらに大衆暴動へと拡大することの懸念から譲歩し、暴動は終息した、と説明することができる。

しかしながら、他のアフリカ諸国の例に鑑みれば、民衆の暴動は往々にして政府による更なる抑圧を惹起する。従って、セネガルではなぜ政府は譲歩を選択したのかという疑問が残る。

本調査の結果、路上商人は職業を基盤とした組織である「路上商人組合」と、帰属する宗教を基盤とした組織である「ダヒラ」という異なる基盤の組織に同時に所属していることが明らかとなった。既に述べた通り、ムリッド教団はセネガルの政治経済に強い影響を及ぼしているとされる。路上商人という、一般的に脆弱な存在と認識されている集団が、実際にはダヒラを介してムリッド教団と密接につながっている、という事情によって、政府の行動が一定程度制限されたのではないかという仮説を立てることができる。

一方で、路上商人組合の代表らは、自分たちの勝利は、セネガル社会の民主主義・市民社会の定着の証左に他ならないと主張し、ムリッド教団の関与を否定する。確かに、ムリッド教団がこの路上商人暴動に直接的に関与したという明確な裏付けは得られなかった。しかしながら、路上商人の流動性は高く、これらの組合が果たして、政府と対峙しうる程度の社会集団として、路上商人を組織化し得たかどうかは明らかではない。

こうした仮説・疑問を検討するため、今後さらなる調査・考察を重ねていきたい。

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