[西アフリカ・クラスター第8回研究会]「ナイジェリアのポテンシャルをめぐって」(2014年11月7日開催)

日 時:2014年11月7日(金)
場 所:稲盛記念館3階小会議室II

島田周平(東京外国語大学)
「ナイジェリアのポテンシャルをめぐって」

島田周平氏は「潜在力」を考える際に、「潜在力」が及ぶ社会的・空間的・時間的範囲と、「潜在力」はプラスに働く場合とマイナスに働く場合がある点を常に意識しなければならないと述べ、「潜在力」がナイジェリアの地域紛争においてどのように機能しているのかを考察した。まず、ナイジェリアの地域紛争の背景を説明したのちに、ナイジェリアの地域紛争の特徴として、経済権益をめぐる争い、武力を背景とした実利主義の存在を説明した。また、紛争のさなかで、自警団、政治家の私兵、企業保安員、日雇い傭兵などの、あらゆるタイプの武装集団が出現しており、それらの武装集団は流動性の高い人々によって構成されていたことを説明した。そして、実利主義的な武力紛争が起こる背景として、ハウス制度がマイナスの「潜在力」として働いている点を示した。次に、ボコハラム運動が、1980年代頃から既に生じていた問題であることを示し、元々北部ナイジェリアのイスラーム社会で生じた活動が、次第に北部ナイジェリア全域、ナイジェリア全土、国際的イスラーム社会、国際社会へとスケールを拡大してゆき、もはやローカルな潜在力が働く余地のない範囲にまで及んでいると考察した。最後に、靴商人によって結成されたBakassi Boysの事例をとりあげ、政治に取り込まれることによって、市民組織が保持する機能が働かなくなることを示し、「潜在力」が機能する社会的スケールの限界を指摘した。(伊藤義将)

[経済・開発ユニット第10回研究会]「成果出版に向けた構想発表第2回」(2014年10月11日開催)

日時:2014年10月11日(土)
場所:稲盛記念館3階318室

プログラム

山田肖子(名古屋大学)
「教科書に見る民主主義と多文化共生-エチオピア民主化プロセスにおける公民教育」

伊藤義将(京都大学)
「森林保全活動が内包する矛盾―エチオピア南西部高地森林域の事例から」

山田肖子(名古屋大学)
「教科書に見る民主主義と多文化共生-エチオピア民主化プロセスにおける公民教育」

山田肖子氏は、この発表のなかで、エチオピアの教育セクターの概況、就学者の動向、公民教育における市民性カリキュラムの変遷について発表した。1993年以降の教科書のテキスト分析をつうじて、強調されている内容や価値観を抽出し、これまでのエチオピア市民性教育の特徴を明らかにした。今後の分析ポイントとしては、海外の影響と多民族支配のバランス、連邦政府によるカリキュラムの統一と教育局、実際の教育現場の検証、現政権による正当性の強調といったイデオロギーの3点が挙げられた。

伊藤義将(京都大学)
「森林保全活動が内包する矛盾―エチオピア南西部高地森林域の事例から」

伊藤義将氏は、エチオピア南西部における森林管理プロジェクトに着目し、森林管理組合の結成、森林管理のマニュアル化、森林で採取されるコーヒーのブランド化「フォレスト・コーヒー」をすすめることによって、住民による森林管理にどのような影響を与えたのかを検討した。森林の保有者は、土地を区分し、区画ごとにコーヒーの採集を委託する。コーヒーの採集者は区画の下枝を刈り取り、コーヒーを採集する。採集したコーヒーは、森林の土地保有者と採集者で折半される。コーヒーのブランド化や森林管理を徹底することによって、植物種の多様性は低下し、コーヒー畑のようになっていく傾向があること、採集者と土地保有者の階層化がすすむ可能性を明らかにした。

以上、2件の発表のほか、メンバー全員が成果出版にむけて、短い構想発表をおこない、今後の予定について打ち合わせた。(大山修一)

[社会・文化ユニット第15回研究会]「『第4回アフリカの紛争と共生 国際フォーラム(ヤウンデ)』の開催にむけた打ち合わせ その2」(2014年10月4日開催)

日時:2014年10月4日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1

プログラム

アフリカ潜在力としての「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」

報告

2014年12月にカメルーン・ヤウンデで行われる第4回国際フォーラムに向けて、社会・文化ユニットのメンバーとフォーラムでの発表者が集まり、議論を行った。フォーラムでキーノート・スピーチを行うカメルーン人人類学者で、南アフリカ・ケープタウン大学で教鞭をとるフランシス・B・ニャムンジョ(Francis B. Nyamhjoh)氏の主要概念である「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について議論し、理解を深めた。

具体的には、平野(野元)美佐が論文”A child is one person’s only in the Womb”について発表し、大石高典氏が論文”Our traditions are modern, our modernities traditional”について発表し、参加者全員で議論を行った。

コンヴィヴィアリティとは本来、饗宴、陽気さ、宴会気分といった意味をもつが、イヴァン・イリイチが、それを社会科学の議論のなかでの分析に用いて以来(1973に出版されたTools for Conviviality邦訳『コンヴィヴィアリティのための道具』など)、教育学や社会学、人類学などで広く使われるようになった。イリイチによるコンヴィヴィアリティは、自立した個人が周りの環境(共同体、一次集団等)と創造的に交わるなかで、個人の自由や創造性が共同体などの集団と調和しながら共生している状態を指す。

ニャムンジョ氏のコンヴィヴィアリティも同じようなトーンをもち、異なったり競合したりするエージェントが、利用されたり騙される恐れなしに共存し、相互浸透、相互依存、相互主体性の精神を吹き込まれた全体の一部となっていること、とされる。とりわけ集団と個人との関係について論じられ、個人が集団の犠牲になることなく、集団に属しながらも個人の達成を追求し、それが集団に承認され、相互に支え合う状態のあり方をコンヴィヴィアリティと呼ぶ。しかしその状態はつねに交渉され、更新され続ける動的なプロセスとされる。

アフリカの紛争と共生について、社会・文化的側面からアプローチする本ユニットにとって、この概念は大変有効である。アフリカにおける紛争解決のために、あるいは共生を維持するために、共同体が活躍している地域は多い。しかしその共同体という集団は、個人に犠牲を強いたり、個人による改革に抵抗を示すことがある。共同体を否定するでもなく、個人に犠牲を強いるのでもないコンヴィヴィアルな状態はいかに生み出されるのか、あるいはそのような状態はいかに保ち続けられるのかを考えることは、本ユニットにとって欠かせない課題であるといえよう(平野美佐)。

[経済・開発ユニット第9回研究会 / 東アフリカ・クラスター第6回研究会]「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」(2014年07月19日開催)

日 時:2014年7月19日(土)10:00~12:30
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2

プログラム

「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」
津田みわ(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター アフリカ研究グループ長代理)
池野 旬(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授)

報告

アフリカ諸国で現在多発している土地をめぐる種々の対立の原因・展開過程・調整方策を検討するにあたって、各国での土地政策の多様な歴史的背景に配慮する必要がある。そのような発想のもとに、具体的な事例として、同じく旧イギリス領でありながら、明白に異なる土地政策を展開してきたケニアとタンザニアを比較して紹介した。

ケニアについては、津田みわ氏が報告した。ケニア海岸部の10マイル帯は、植民地期にザンジバルのスルタンの勢力範囲であると認定され、アラブ人やスワヒリ人に大規模な土地の保有が認定された。そして独立後に、内陸部の民族集団、なかでもキクユが海岸部に土地を確保するようになり、現地の民族集団ミジケンダの不満が高まった。近年に海岸部で暴動が発生している背景には、このような土地問題が潜んでいる。

タンザニアについては、池野が報告した。タンザニアにおいては、1970年代のウジャマー村建設期に、植民地期から認定されてきた慣習的な土地権が曖昧となった。1999年には「土地法」や「村落土地法」が発布され、「慣習的占有権」が再定義・再認定されたが、必ずしも慣習的とは言えない権利を含む定義であり、今後問題が発生する危険性を秘めている。(池野旬)

[生業・環境ユニット第9回研究会]熱帯森林利用のローカル・ガバナンスの可能性に関する地域間比較Ⅱ(第5回京都大学地域研究統合情報センター共同研究会および第6回アフリカ自然保護研究会との共催、2014年07月19日開催)

日 時:2014年7月19日(土)14:00〜18:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館2階213号室

プログラム

松浦直毅(静岡県立大学)
「人間と野生動物の共生に向けた人類学者と動物学者の協働の可能性
 ―アフリカ熱帯林保全の現場から」

竹ノ下祐二(中部学院大学)
「”仕事村”から”ゴリラ村”へー伝統でないものとしての自然」

報告

松浦直毅(静岡県立大学)
「人間と野生動物の共生に向けた人類学者と動物学者の協働の可能性―アフリカ熱帯林保全の現場から」

アフリカの野生生物保全の現場では、自然科学的バックグラウンドを持ち、野生動物の生息状況や密猟、生息地破壊といった保全上の危機に強い関心を持つ「動物学者」と、社会科学的視点から地域住民の権利や生業の持続性に注目する「人類学者」 との協働が期待されている。発表者は、自然科学者が主導するJST/JICAプロジェクトの中で、コミュニティの参加を促す活動を担当する社会科学者としての経験の詳細について報告した。対象地であるガボン・ムカラバでは、野生ゴリラの研究と保全を達成するために、野生動物による農作物被害の緩和や、観光活動への住民参加、環境教育活動が試みられている。その中で、参加が望まれているコミュニティとはそもそも何か、プロジェクト自体が村の持続性に影響を与えていること、住民参加という枠組み自体が外部からの押しつけである、など、多くの興味深い問いが提起され、それについて活発な議論が交わされた。(山越言)

竹ノ下祐二(中部学院大学)
「”仕事村”から”ゴリラ村”へー伝統でないものとしての自然」

松浦報告に引き続き、野生動物保全の現場に横たわる「野生動物」と「地域住民」、「自然科学」と「社会科学」、「研究」と「実践」という困難な二項対立について、報告者はムカラバ・プロジェクトの研究史をひもときながら、興味深い多くの事例を紹介した。しばしば社会科学者から指摘される保全に対する自然科学者の独善や「自然」の特権化について、報告者は率直な自己批判に基づきながら、プロジェクトの開始当初から自然科学者として現場に関わった自身の立場を透明化することなく、相互に影響を与えあうアクターとして自己言及的に位置づけることから反論を行った。自然科学者と社会科学者がそれぞれの研究対象を「代弁」する事について参加者の間でも率直な意見交換が行われた。JST/JICAの大型プロジェクトによる現場への関与がもたらした功罪について興味深い分析が紹介され、とくにプロジェクトの自己目的化により、ゴリラと村人という真の受益者のことが忘れられがちになるという指摘がなされた。そのような硬直化した状況を乗り越えるため、「物語ツーリズム」の導入など、いくつかの興味深いアイデアと将来像が提示された。(山越言)

[東アフリカ・クラスター第6回研究会/経済・開発ユニット第9回研究会]「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」(2014年07月19日開催)

日 時:2014年7月19日(土)10:00~12:30
場 所:京都大学稲盛財団記念館3階小会議室2

プログラム

「ケニアとタンザニア-土地政策の異なる歴史-」
津田みわ(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター アフリカ研究グループ長代理)
池野 旬(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授)

報告

アフリカ諸国で現在多発している土地をめぐる種々の対立の原因・展開過程・調整方策を検討するにあたって、各国での土地政策の多様な歴史的背景に配慮する必要がある。そのような発想のもとに、具体的な事例として、同じく旧イギリス領でありながら、明白に異なる土地政策を展開してきたケニアとタンザニアを比較して紹介した。

ケニアについては、津田みわ氏が報告した。ケニア海岸部の10マイル帯は、植民地期にザンジバルのスルタンの勢力範囲であると認定され、アラブ人やスワヒリ人に大規模な土地の保有が認定された。そして独立後に、内陸部の民族集団、なかでもキクユが海岸部に土地を確保するようになり、現地の民族集団ミジケンダの不満が高まった。近年に海岸部で暴動が発生している背景には、このような土地問題が潜んでいる。

タンザニアについては、池野が報告した。タンザニアにおいては、1970年代のウジャマー村建設期に、植民地期から認定されてきた慣習的な土地権が曖昧となった。1999年には「土地法」や「村落土地法」が発布され、「慣習的占有権」が再定義・再認定されたが、必ずしも慣習的とは言えない権利を含む定義であり、今後問題が発生する危険性を秘めている。(池野旬)

[第17回全体会議]特別フォーラム「アフリカ潜在力から考える紛争解決に向けた国際関係の諸相」(2014年7月19日開催)

日時:2014年7月19日(土) 13:30〜17:30
場所:京都大学稲盛財団記念館3階中会議室

プログラム

13:30~14:00 事務局からの連絡
14:00~17:30 特別フォーラム「アフリカ潜在力から考える紛争解決に向けた国際関係の諸相」

プログラム

14:00~14:10
遠藤貢(東京大学大学院総合文化研究科)
趣旨説明

14:10~14:50
クロス京子(立命館大学立命館グローバル・イノベーション研究機構)
「移行期正義と女性の正義―リベリア平和構築プロセスにおけるエージェントとしての女性」

14:50~15:30
杉木明子(神戸学院大学法学部)
「「国内紛争」の越境・拡散と「紛争解決」-北部ウガンダ紛争の事例から」

15:30~16:10
栗本英世(大阪大学大学院人間科学研究科)
「南スーダン新内戦和平調停におけるIGADの役割」

16:10~16:25
  ブレイク

16:25~16:45
遠藤貢(東京大学大学院総合文化研究科)、武内進一(アジア経済研究所)
コメント

16:45~17:30
  総合討論

報告

移行期正義と女性の正義―リベリア平和構築プロセスにおけるエージェントとしての女性
クロス京子(立命館大学立命館グローバル・イノベーション研究機構)

クロス氏は、平和構築プロセスにおいて、社会変革のエージェントとしての女性が果たす役割について論じた。最初に、移行期正義が制度化されてきた背景やそのスコープの拡大について説明し、平和構築において、ジェンダー、移行期正義、社会正義の3領域がどのような連環にあるかという問題設定を明確にした。次に分析の枠組みとしてジェンダー視点を導入する意義を述べた。紛争下の性的暴力撲滅推進は国際的な流れであり、国連安保理でも女性の平和、安全保障が議論され、繰り返し決議がなされている。決議では、①「被害者」としての女性という観点のみならず、②社会変革の「エージェント」としての女性という観点が導入されている。以上のことから、クロス氏は、ローカル正義が持つ構造的不平等問題にはジェンダー観点を導入する意義があり、女性が社会変革のエージェントとして参加するローカル正義は女性の正義実現に効果を持つという仮説を提示した。最後に、この仮説を検証するために調査をおこなっているリベリアの女性組織の事例が紹介された。リベリアにおける既存の紛争解決法としては、チーフ・長老による検討会議Palava Hutがある。これを模して作られたPeace Hutという女性組織によって、紛争解決、小規模ビジネス、DV被害者保護・加害者の引き渡しなど女性の能力強化のための様々な活動がおこなわれている。質疑応答では、このような活動を可能にした要因が何であるかが問われた。ジェンダー指数で見る限りリベリアの女性の地位は低いままであるが、寡婦として生活する中で女性がエンパワーするためのアクセスは増えたという点が指摘された。(市野進一郎)

「国内紛争」の越境・拡散と「紛争解決」-北部ウガンダ紛争の事例から
杉木明子(神戸学院大学法学部)

杉木氏は、北部ウガンダで発生した紛争が「ミクロ・リージョン化」、つまり近隣諸国へ越境、拡散していったプロセスを概観したあとで、紛争解決に向けた取り組みとその課題について論じた。ウガンダ北部では、1987年にジョセフ・コニー率いる神の抵抗軍(LRA)がムセヴェニ政権に対する軍事抵抗を開始した。LRAは1994年にはスーダン(現・南スーダン)に拠点を移し、2005年にはコンゴ民主共和国へ、さらに2008年には中央アフリカへと移動を続けた。LRAの現在の軍事力はわずか210~240人程度だとされる。軍事的には圧倒的な優位にあるのに、これらの4か国がLRAを制圧できていない背景として、①LRAは関係国にとって安全保障上の最優先課題ではないため、解決へ向けた政治的意思が欠如していること、②各国で反政府勢力への支援や資源の収奪などをおこなってきたウガンダ政府に対して、近隣諸国が不信感を抱いていること、③現在、LRAの拠点や攻撃対象はウガンダ北部にはないため、紛争を解決すべき主体がどの国なのかが不分明であること、の3点を挙げた。ウガンダ北部紛争のような越境した紛争を解決するための平和構築は、国レベルではなく地域(リージョナル)レベルでおこなわれる必要があり、その実現に向けて対話・コンセンサス型のアプローチによる地域協力、つまり関係諸国が協議を重ね、紛争解決や安全保障の価値を共有する環境を醸成していくことが求められている。最後に杉木氏は、紛争解決の潜在力として、草の根レベルで形成されたCBOである地域市民社会タスクフォース(RCSTF)による各国政府への働きかけがもつ可能性に言及した。ただし、「KONY2012」運動のような当該地域の住民の意思を無視したアドボカシー・ネットワークは、地域住民からの反発を招きかねない点で問題含みのものであることも指摘した。(佐川徹)

南スーダン新内戦和平調停におけるIGADの役割
栗本英世(大阪大学大学院人間科学研究科)

栗本氏は2013年12月から続く南スーダンの紛争について、背景と経緯を説明した後、IGADなどの地域(リージョナル)機関がどのように対応したのか、主にニュースメディアの報道を取り上げながら解説を行った。紛争が生じた背景については2005年から続く復興の遅れ、汚職、キール大統領の強権的な政治などに対する不満の蓄積が挙げられた。また、大統領と副大統領の軋轢が民族紛争の様相を呈した点について、大統領が副大統領と関係者を武力によって排除した際に「エスニック・カード」を切ったためであるという私見が述べられた。次にAUやIGADの介入による和平調停に至るプロセスと停戦協定が破棄され各地で戦闘が継続している現状と、それぞれの機関が制裁を検討している様子が示された。質疑応答では、民間人レベルの民族間関係の現状がどうなっているのか、マルチ・エスニックなNGOはどのように活動しているのか、という質問が出された。また、キール大統領がなぜエスニック・カードを切ったのかという質問に対して、栗本氏から大統領が政治家として未熟であったという見解が示された。(伊藤義将)

[社会・文化ユニット第14回研究会]「『第4回アフリカの紛争と共生 国際フォーラム(ヤウンデ)』の開催にむけた打ち合わせ その1」(2014年7月19日開催)

日時:2014年7月19日(土)
場所:京都大学稲盛財団記念館3階、小会議室1

プログラム

西アフリカの「紛争と共生」ポテンシャル

報告

2014年12月にカメルーン・ヤウンデで行われる第4回国際フォーラムに向けて、社会・文化ユニットのメンバーとフォーラムでの発表者が集まり、フォーラムでの有意義な発表と議論のために意見交換を行った。

まず、フォーラムのオーガナイザー松田素二氏が、第1回目のナイロビ・フォーラム( 2011)、第2回目のハラレ・フォーラム(2012)、第3回目のジュバ・フォーラム(2013)まで議論の流れを総括し、ヤウンデ・フォーラムで期待される議論について述べた。次に、発表予定者それぞれが発表内容について短く報告し、それについて質疑を行った。

これまで国際フォーラムの舞台となった東アフリカや南部アフリカ、南スーダンと、カメルーンを含む中・西部アフリカは、歴史的にも文化的にも社会のあり方も大きく異なっている。そのような中・西部アフリカにおいて特徴的な「アフリカの潜在力」はあるのか、あるとしたらどのようなものであるのかについて、意見交換を行った(平野美佐)。

[経済・開発ユニット第8回研究会]「成果出版に向けた構想発表第1回」(2014年07月12日開催)

日 時:2014年7月12日

今回は、成果出版に向けて構想発表が行われた。まず、編者である高橋基樹氏(神戸大学)から、書籍出版についての説明が行われたのち、荒木美奈子氏(お茶の水女子大学)、近藤史氏(京都大学)、福西隆弘氏(アジア経済研究所)、神代ちひろ氏(京都大学)の4名から構想の発表が行われた。

荒木美奈子氏は「水資源をめぐる『開発実践』における争い・交渉・解決のプロセス」というタイトルで、開発実践のなかで生じる紛争について、自らがかかわったタンザニア、ムビンガ県の山間部のハイドロミル・プロジェクトをめぐる紛争とその解決方法について報告した。発表ではハイドロミルの近くに居住する人々と遠くに居住する人々の間での争い、プロジェクトを支援してきた県と教会によるオーナーシップをめぐる紛争などが事例として取り上げられ、紛争の火種は何だったのか、どのように解決されたのか、誰が調停者になり調停者はどのような役割を担ったのかについて丁寧に説明された。質疑応答では、外部者の影響がどれくらい紛争とその解決に影響を与えているのかという質問や、対立の構造をより明確にする必要があるという指摘がなされた。

近藤史氏は、「植林の産業化にともなう土地とカネをめぐる格差と共生の模索」というタイトルで、植林した樹木が大きな現金収入源となった結果、生じた貧富の格差や不満はどのように解決されているのか、タンザニア南部ンジョンベ州の事例を報告した。質疑応答では、貧富の格差が生じても必ずしも衝突が起こるわけではなく、格差が広がったとしても貧困層の生活が底上げされ、彼らが満足している状態であれば衝突は生じない可能性が高いということが指摘された。また、衝突回避の試みとして紹介された公共事業は、衝突回避が目的とされていない可能性もあるため、執筆の際には注意する必要があるというコメントがあった。

福西隆弘氏はマダガスカルで生じた政変によって輸出先が減少した縫製業に注目して、解雇された労働者の脆弱性がどのようなものなのか、サーベイデータを利用して報告を行った。福西氏は社会階層を分類する際に、収入を基本として分類していたが、質疑応答では、貧困層に分類され、そもそも収入が不安定な人々に対しては、収入よりも比較的安定している支出を基礎として分類する方が良いという指摘がなされた。また、今回注目している比較的貧困な縫製労働者がマダガスカル社会において、どのような位置づけにある人々なのかを明らかにして欲しいとの要望が出された。

神代ちひろ氏は、ブルキナファソの農村で女性住民組織が行うマイクロファイナンスをめぐる紛争とその解決方法を紹介した。質疑応答では、そもそもそこで行われている活動がマイクロファイナンスではない可能性が高く、また女性組織という定義にも当てはまらない可能性があるという指摘がなされ、マイクロファイナンスと女性組織の定義を確実にしたうえで、神代氏が見ているものが何なのかをしっかりと把握する必要性が提起された。また、ストーリーとしては、外部からマイクロファイナンスが持ち込まれたものの、ブルキナファソの農村に暮らす女性たちの価値観にそぐわなかったために、マイクロファイナンスを彼女たち自身で、自分たちの文化に根付いたかたちに変化させたと考えることも可能だろうというコメントがあった。(伊藤義将)

[生業・環境ユニット第8回研究会]熱帯森林利用のローカル・ガバナンスの可能性に関する地域間比較(第4回京都大学地域研究統合情報センター共同研究会および第5回アフリカ自然保護研究会との共催、2014年06月21日開催)

日 時:2014年6月21日(土)14:00-18:00
場 所:京都大学稲盛財団記念館2階213号室

プログラム

山越言(京都大学)
「ギニアの精霊の森のガバナンスをめぐるせめぎあい」

竹内潔
「熱帯森林の豊穣性-持続的利用のワイズ・ユース再考」

報告

山越言(京都大学)
「ギニアの精霊の森のガバナンスをめぐるせめぎあい」

最初に、アフリカにおける自然保護は植民地行政の主導で始まったものであり、自然保護区のデザインは、西欧文化の中で発展した自然観に基づくものであることが指摘された。近年、アフリカの自然保護区では、要塞型保全に代わり住民参加型保全が標準になり、一見ボトムアップ型になったように見えるが、地域住民にさほどの決定権は与えられていない。むしろ、地域住民の間でアクター間の対立が起きるなど、わかりやすかった構図がより複雑になったともいえる。ギニア中部、森林・サバンナ境界域における村落周辺林の成立に関する議論では、「人間活動が森を破壊してきた」という一般論と「人間活動が森を増やしてきた」という内部者の経験知がしばしば対立する。そうした議論を踏まえて、住民主体的なチンパンジー保護がおこなわれてきたギニア、ボッソウ村バンの森の事例が紹介された。村に政府系研究所が設立されたことをきっかけに、森の管理権に関わる村人の抵抗運動が起きた。こうした抵抗運動の中で、平和時には顕在しない在来の自然資源管理デザインについて垣間見ることができた。村人は「森を伐ったほうがチンパンジーのために良い」「森が増えてきてチンパンジーが困っている」といった説明をした。これは森を切り開き、畑を作ることで、チンパンジーは畑の作物を食べることができ、さらに村人とチンパンジーとの出会い頭の事故を防ぎ、人身被害を予防できるという主張である。住民参加型保全では、呉越同舟するアクター同士間に相互理解が必ずしもないまま、いっけん一つの方向に向かっているように見える、メコネサンス(相互誤認)的な状況が成り立っている可能性がある。また、参加型保全が重視する観光収入の地域への還元に代表される保護活動の市場経済化は、消費者である先進国の観光客の意向がより直接に反映される可能性があり、今後、「自然保護区のディズニー化」といえる現象が生じるかもしれない、という議論がなされた。質疑応答では、「精霊の森」が物語とともにあるフィクションではないかという意見や住民の関心が森林動物よりも生業・生活にあるのではないかという意見が出された。(市野進一郎)

竹内潔
「熱帯森林の豊穣性-持続的利用のワイズ・ユース再考」

東アフリカなど他の地域からかなり遅れたが、今世紀に入って、中央アフリカ熱帯森林帯においても、住民参加を謳う森林保全管理が導入されるようになった。しかし、実際には、政府や自然保護NGOが一方的に設定したゾーニングによって地域住民の森林利用が著しく制限され、住民の生活文化の存続が困難になっている例も少なくなく、とりわけ、狩猟採集を生業としてきたピグミー系民族集団は厳しい状況に置かれている。  

本報告では、このような状況を踏まえて、森林と地域住民の関係をめぐる論説が紹介され、また、アカ人の狩猟活動を例として、研究者がローカルな価値を媒介して現在の森林管理を支えるグローバルな価値論理への対抗言説を立てる可能性が探られた。

まず、地域住民についての論説は、過去においては技術水準が低かったために環境破壊に至らなかったが、外部からの経済的・技術的誘因があれば経済的便益のために森林や生物多様性を破壊する功利主義的な存在とする言説と、生業文化に埋め込まれた意図的あるいは(小規模人為攪乱などの)非意図的な在来の知によって森林の持続的利用や生物多様性を維持する環境と調和した存在とする言説に大別される。しかし、森林を希少な経済的・生物学的な資源と前提し、持続的利用と生物多様性保全の尺度で地域住民の営為を評価する点ではどちらの住民像も同工異曲であり、「資源の希少性」の尺度に立つ限り、現地住民は「科学的」管理に掬いとられるか、啓蒙や便益調整が施される操作対象にとどまり続けるという指摘がなされた。

次に、ローカルな森林の価値について、アフリカ、コンゴ共和国の熱帯森林に居住するピグミー系狩猟採集民アカ人の集団網猟の事例が紹介された。集団網猟は、猟場の生態学的特徴に応じた技法を持つ、すぐれて技術的な食糧獲得手段であると同時に、生活単位である家族集団が複数集まって協働し、交流する営為だとされる。参加者たちが、狩猟に費やすのと同程度の時間を歓談に費やし、さらに、猟果が芳しくない時でも、歓談時間を減らして猟の回数を増やし、網で囲い込む森林面積を拡大してエモノの獲得可能性をあげるという対処がとられないことが、計量的に示された。このようなアカの狩猟実践の根底には、不運(不猟)だけでなく(そのうち)必ず幸運(豊猟)も与えてくれ、交流と歓談の機会をたっぷりと提供してくれる森林の「豊穣性」に対する信念があることが指摘された。アカ人にとって、森林は個々の経験や人生と分かちがたく結びついた生きられる場であって、人間に様々な経験を供する豊穣の価値(即自的価値)は認められても、使用価値や交換価値などの経済的便益や生物学的多様性が産み出される客体化された「資源」ではないという考察が示された。

さらに、生物学的多様性や持続的利用などの「希少性」の「大きな物語」に対して、アカ人のような政治的凝集力をほとんど持たない人々の様々な「小さな物語」を文化保全という別の「大きな物語」の内実へと繋いでいくことが、現地に足場を置く研究者がなしうる仕事であり、また、西欧近代由来の自然観から脱却した新たな視野の地平を拓く橋頭堡だという主張がなされた。

以上の報告に対して、質疑応答では、管理をめぐる諸アクターの動態は多面的であり、グローバルな価値を静態的かつ単純化して捉えているという指摘があった。また、アカ人のローカルな価値についての具体的立証が不十分である、グローバルな価値を利用しつつ住民の社会文化存続の方途を考える方向性もありうるといった意見が示された。(竹内潔)